松平勝房
松平 勝房(まつだいら かつふさ)は、江戸時代中期の大名。下総国多古藩2代藩主。官位は従五位下・美濃守。 生涯元禄15年(1702年)3月18日、初代藩主・松平勝以の次男として誕生。長兄・権太郎は早世しているために世子となり、正徳3年(1713年)9月15日に12歳で徳川家宣に御目見している[3]。享保元年(1716年)12月に従五位下・美濃守に叙位・任官する[3]。享保13年(1728年)4月9日、父の死去により家督を継いだ[3]。享保14年(1729年)、300俵取りの分家当主であった松平勝尹[注釈 2]を養子に迎えた[4][2]。 享保21年(1736年)4月6日、家督を勝尹に譲って隠居[3]。延享3年(1746年)12月30日に死去した[3][1]。享年45[3]。 系譜脚注注釈出典参考文献
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