松平乗承
松平 乗承(まつだいら のりつぐ、1851年12月30日〈嘉永4年12月8日[1]〉 - 1929年〈昭和4年〉7月13日[2][3][4])は、明治から昭和時代初期の政治家、華族。子爵、貴族院議員。三河国西尾藩主松平乗全の五男[1]。妻は松平輝聴の娘、昭子[注釈 1]。子に松平乗統[注釈 2]。 生涯叔父で最後の藩主松平乗秩の養子となる[1]。1873年(明治6年)に養父の死を受けて家督を継ぎ、1877年(明治10年)、大給恒、佐野常民、桜井忠興らと博愛社(日本赤十字社の前身)の設立に尽力。1881年(明治14年)に宮内省御用掛となった。1884年(明治17年)7月3日には太政官御用掛に就任、修史館勤務となる[5][6]。同年7月8日、子爵を叙爵[7]。同年12月に修史館から第二局に異動となった[8]。1885年(明治18年)3月麻疹にかかり辞職する。1887年(明治20年)、日本赤十字社に入り、第四回赤十字国際会議にドイツ留学中の森鷗外と出席する。1890年(明治23年)7月10日、貴族院議員となり1925年(大正14年)7月9日まで務めた[9][注釈 3]。1913年(大正2年)1月22日、日本赤十字社副社長に就任した[10]。1918年(大正7年)8月1日、願い出により副社長を退任した[11]。1929年7月13日14時、病気のため死去した[4]。 栄典勲章
位階
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク
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