村野辰雄
村野 辰雄(むらの たつお、1907年(明治40年)5月18日 - 1992年(平成4年)12月16日)は、日本の実業家。三和銀行元頭取。 経歴・人物奈良県御所市出身[1][2]。1932年に東京帝国大学経済学部を卒業し、三和銀行の前身である山口銀行に入行[1][2]。1952年5月に取締役、1957年10月に常務、1961年11月に専務を経て、1971年4月から1976年4月までに頭取を務め、銀行間のオンライン提携の推進とJCBの設立などにより、消費者金融により力を入れ[3]、加州三和銀行の設立などで国際業務にも力を入れた[1]。 その一方で、日本銀行参与、全国銀行協会副会長、日本経済団体連合会常任理事、大阪銀行協会会長なども歴任[4][3]。ローマ字の普及にも力を入れたことでも知られる[3]。1978年11月に勲二等旭日重光章を受章した[1]。 1992年12月16日、急性肺炎により東京都渋谷区の病院で死去[4]。85歳没。 関連書籍
脚注
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