村上萬助村上 萬助(むらかみ まんすけ、文久元年(1861年)[1]- 1934年(都立青山霊園墓石簿より))は、日本の建築家。伊予国(現愛媛県)生まれ[1]。 1887年(明治20年)に図工兼場所付雇として宮内省内匠寮にはいる[1]。 1893年(明治26年)に内匠寮技手となり、1898年(明治31年)から東宮御所御造営局技手を兼任、1899年(明治32年)に同局技手となる[1]。 1907年(明治40年)には内匠寮技手、1914年(大正3年)に宮内技手となり、1916年(大正5年)に退官した[1]。 1934年3月27日 逝去 配偶者 せき、長女 たき、次女 貞子、三女 琴子、長男 正雄、四女 富子、当時の住まいは麹町区永田町2丁目31、墓所は青山霊園[要出典] 戒名 法譽寿岳満定居士[要出典] 主な作品には片山東熊とともに手がけた新宿御苑洋館御休所(1896年)がある[1]。 脚注参考文献
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