李元裕李 元裕(り げんゆう、生年不詳 - 麟徳2年7月19日[1](665年9月4日))は、中国唐の高祖李淵の十七男。母は崔嬪。 経歴貞観5年(631年)、鄶王に封じられた。貞観11年(637年)、鄧王に改封され、実封800戸を受けた。鄧州・梁州・黄州の刺史を歴任した。学問を好み、論理学をよく談じ、典籤の盧照鄰と親しい付き合いをした。貞観23年(649年)、実封1200戸まで加増された。高宗のとき、寿州・襄州刺史を経て、兗州都督となった。 麟徳2年(665年)、世を去ると、司徒・益州大都督の位を追贈され、献陵に陪葬された。諡を康といった。 子がなく、江王李元祥の子の広平公李炅が後を継いだ。 脚注
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