朽木紘綱
朽木 紘綱(くつき ひろつな)は、江戸時代後期の丹波国福知山藩の世嗣。官位は従五位下・河内守。 略歴天保6年(1835年)8月、武蔵国金沢藩7代藩主・米倉昌寿(福知山藩8代藩主・朽木昌綱の三男)の五男として誕生。 弘化4年(1847年)1月26日、福知山藩12代藩主・朽木綱張の養子となり、朽木綱張の養女(10代藩主・朽木綱条の娘)を正室とする。嘉永4年(1851年)4月15日、12代将軍・徳川家慶に拝謁する。同年12月16日、従五位下・河内守に叙任する。 嘉永7年(1854年)、家督相続前に早世した。代わって、綱張の長男・為綱が世嗣となり、また為綱は紘綱の妹の恒子を娶った。 |