朱 寿昌(しゅ じゅしょう、拼音:Zhū Shòu chāng、1014年 - 1083年[1])は、北宋の官僚。字は康叔。揚州天長県同仁郷秦欄(現在の安徽省滁州市天長市秦欄鎮)の人。母の劉氏は朱巽の側室。
『宋史』巻二一五「列伝第二百十五 孝義」に、彼が官僚としての役目を捨てて、千里母を訪ねた話が載っている。このことから、二十四孝の一人とされた。
司農少卿、朝議大夫、中散大夫にまで昇り、年七十にして亡くなっている。
参考文献
- ^ 謝桃坊、2009年、「朱寿昌尋母事辨」、『文史雑誌』、第6期:第10-12頁。
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