本多政樹本多 政樹(ほんだ まさき、1885年〈明治18年〉7月30日[1] - 1958年〈昭和33年〉1月25日[1][2])は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院多額納税者議員、貴族院男爵議員。 経歴加賀八家本多家第12代当主・本多政以の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1921年8月10日、男爵を襲爵した[1][3][4]。 京都帝国大学法科大学を修了[2][3]。1921年、金沢商業会議所特別議員となる[2]。以後、金沢商業会議所顧問、日本輸出織物染色工業組合連合会理事、森田染工場代表取締役、丸文機業場代表取締役、加州銀行取締役、内国貯金銀行重役などを務めた[2][3]。 1932年(昭和7年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ[5][6]、1939年(昭和14年)4月28日まで1期在任[2][7][8]。1942年(昭和17年)3月28日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[9][10]、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。 親族脚注参考文献
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