木下俊胤
木下 俊胤(きのした としたね)は、豊後国日出藩10代藩主。初名は忠昭。通称は荘左衛門、主計。官位は従五位下、左衛門佐 人物明和4年(1767年)9月10日、先代藩主・俊泰の養嗣子となった。同年10月15日、将軍徳川家治に御目見する。同年12月16日、従五位下・左衛門佐に叙任する。明和5年(1768年)9月21日、俊泰の死去により跡を継いだ。明和9年(1772年)2月、江戸で大火が起こったとき、火消し役としての任務を立派に遂行したと言われている。また、俊胤は智勇兼備の人物で、伊藤金蔵に師事して学問を学び、自ら講師となって藩士への教育に務めたと言われている。著書にも「千体観音図帳」がある。馬術や剣術、槍術にも優れており、免許皆伝の腕前だった。 安永5年(1776年)5月20日、日出で死去し、跡を長男の俊懋が継いだ。法号は赫赫院。墓所は東京都港区高輪の泉岳寺。 系譜父母 正室 子女
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