朝倉城 (土佐国)
朝倉城(あさくらじょう)は、高知県高知市朝倉にあった日本の城。別名重松城。高知県指定史跡[1]。 概要高知市西部、高知大学西側の標高約100メートルの丘陵上に位置し、頂上のおよそ2000平方メートルの平坦地を本曲輪とし、周囲にも出丸を築いていた[1]。 本山城主・本山茂宗は、大永(1521~1527)年間に土佐中央部に進出した。朝倉城築城は天文元年(1532年)頃とも言われている[1]。その後、長宗我部氏や土佐一条氏と土佐国の覇権をめぐって争い続けた。 永禄5年(1562年)には長宗我部元親が3,000人の兵を率いて当城を攻め、本山茂辰はこれを撃退した。しかし翌永禄6年(1563年)に本山城に退去した際に当城は焼かれ、廃城となった。 1953年(昭和28年)1月29日、高知県指定史跡に登録された。 現地情報所在地
アクセス
脚注参考文献
関連項目 |