服部力 (野球)
服部 力(はっとり つとむ、1923年9月12日 - 2012年2月27日)は、三重県伊勢市出身[1][2]の元プロ野球選手(投手)、ノンプロ野球指導者・組織運営者。右投右打。 経歴宇治山田商業学校から法政大学、社会人野球の函館太洋倶楽部を経て1950年に新設されたプロチームの近鉄パールスへ入団。 1951年に退団し、翌1952年からは三重交通に勤務する傍ら、同社の社会人チームへ所属した[3]。三重交通ではエースとして活躍し、入団年の第23回都市対抗野球大会では3位に導いた[1]。 1957年には母校法政へ出向し野球部の監督へ就任[1]。1960年の春季リーグで12年ぶりの優勝を果たした[3]。法政監督時代の教え子には山本一義らがいる[3]。 その後は、1985年から18年間にわたり日本野球連盟の東海地区連盟理事長を務め[1]、晩年は同地区連盟顧問・日本野球連盟参与を務めた[1]。 2012年2月27日に脳梗塞のため三重県津市病院で死去した[2][4]。88歳没。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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