曾倉岑曾倉 岑(そくら たけし、1934年(昭和9年)7月28日 - 2018年(平成30年)1月15日[1])は、日本の文学者。日本文学、上代文学。専門は万葉集研究。青山学院大学名誉教授。神奈川県出身。 人物長野県伊那北高等学校卒業、1958年東京大学文学部国文学科卒業、1960年同大学院人文科学研究科同大学大学院修士課程修了、修士論文の題は「上代歌謡研究」。1963年博士課程単位取得満期退学。 1963年明治学院大学文学部専任講師を経て1973年同教授。1974年青山学院大学文学部助教授、1976年教授。2003年定年退職、名誉教授。文学博士(東京大学)。 古事記、日本書紀、続日本紀、日本霊異記、風土記、万葉集などの研究に携わる。 間人皇女論争孝徳天皇が皇后である間人皇女に宛てた歌が「日本書紀」に残されている。 金木着け 吾が飼う駒は 引き出せず 吾が飼う駒を 人見つらむか 間人皇女が夫である孝徳天皇を離れ、葛城皇子(中大兄皇子、後の天智天皇)と共に飛鳥に遷った理由は明らかではない。しかし、上の歌の「駒」が間人皇女を璧喩しており、古代の「見る」が恋愛と直結するものであることから、自分の妻を他の男に「見られた」の意に理解し、中大兄皇子との近親相姦の関係を説く吉永登のような見解もあり、直木孝次郎らによって支持されているが、これに対して曾倉岑、荒井秀規らによる反論があり、荒井は穿ちすぎだと疑義を示している。 著作単著
共著編集
校注
脚注
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