早坂一郎
早坂 一郎(はやさか いちろう、1891年〈明治24年〉12月6日 - 1977年〈昭和52年〉8月19日)は、日本の古生物学者。島根大学学長、日本学術会議会員。 経歴宮城県仙台市に生まれる。東北帝国大学理科大学地質学教室の第一期生で、1915年に卒業、同大学講師となる。1918年に理学博士、助教授。1928年、新設の台北帝国大学理農学部教授に就任する。1940年、同大学理農学部部長に就任。戦後は金沢大学教授、北海道大学教授を経て、1958年島根大学学長に就任。 古生代の化石の研究で知られ、朝鮮、中国、台湾等の第3系化石を調査。1952年から1953年に日本地質学会会長を務めた。 1926年に『地学雑誌』444号に発表した論文「岩手県花巻町産化石胡桃について」には、「化石収集に便宜を与えて下さった」という謝辞の対象として「花巻の宮澤賢治氏」という記述がある[1]。これは当時岩手県立花巻農学校(現・岩手県立花巻農業高等学校)で教員を務めていた宮沢賢治のことである[2]。実際に早坂が現地に赴いて賢治の案内で化石を採集したのは、前年の1925年11月23日のことだった[3][4]。 論文
脚注
参考文献
関連項目 |