日置神社 (名古屋市)
日置神社(ひおきじんじゃ、ひきじんじゃ)は、愛知県名古屋市中区橘一丁目にある神社である。日置天神、日置八幡宮ともいわれる。 熱田台地の高地、名古屋城下町の南限に鎮座する。付近の本町通から北に名古屋城へ、南に熱田神宮へ通じている。 祭神由緒創建は不詳。延喜式の「尾張国愛智郡日置神社」にあたる。社名は暦を司る日置部に由来する。中世、山城国男山より八幡大神を勧請して合祀(京都東山五条北の若宮八幡宮とも)。 永禄3年(1560年)5月、織田信長が桶狭間の戦いへ出陣する折、早朝に清洲城を出て本社に到り、敦盛を舞って戦勝祈願を行い、軍勢の集結を待ってから熱田神宮へ向かったとされる。織田信長は戦勝後、報賽のため神域に松樹千本を植えた。これより千本松日置八幡宮と呼ばれる。 明治維新の際、社号を復旧して日置神社とする。1871年(明治4年)に郷社に昇格した。神仏分離の際には社家が資料を持ったままやめたため、資料が散逸している。 1896年(明治29年)、千本松の最後の1本が枯れたとされる。1907年(明治40年)12月26日、神饌幣帛料供進神社に指定された。1909年(明治42年)10月、隣接する村社の神明社を合併して配祀した。 1945年(昭和20年)3月、名古屋大空襲で戦災を受けた。1958年(昭和33年)、社殿の復興造営が完成した。 境内
摂末社
祭典行事
外部リンク
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