新庄市立日新小学校
新庄市立日新小学校(しんじょうしりつ にっしんしょうがっこう)は、山形県新庄市にある公立小学校。略称は日新(にっしん)。 概要新庄市街地の南にある小学校で、付近には日新中学校や県立最上学園、わくわく新宿(生涯学習センター)などの公共施設が多く立地する。市の南部を学区としており、かつて稲舟村だった区域が大半を占める[2][3]。 児童数は市内で最も多い。2023年度は518人で、各学年は3学級編成である。通常学級の児童は減少が続いており、10年前(2013年度)と比較すると200人ほど減少した。一方で特別支援学級の児童は増加傾向にあり、2019年度からは10人台を推移している[4]。 校歌は芳賀秀次郎が作詞し、海鋒義美が作曲した。歌は2番で構成され、各番の最後には校名の「日新」が盛り込まれている[5]。校章は、尋常小学校時代の1933年に制定された。金沢八幡神社の紋章(三つ巴)の上に羽を広げた白鳩が佇むデザインとなっており、紋章の部分には校名の「日新」が記されている。羽を広げた鳩は飛び立つ様子を表しており、純真でゆとりのある人間に育ってほしいという願いが込められている[6]。 沿革日新小学校は、1903年に金沢尋常小学校と稲舟村の2校(鳥越尋常小、福田尋常小)を統合し、日新尋常高等小学校として発足したことが起源となる[7]。前身の3校は、1872年に発せられた学制によって開校し、30年ほどの間に幾多の変遷を重ねた[7]。 金沢尋常小学校は、「金沢学校」として1875年11月に金沢村の接引寺(北緯38度45分20.96秒 東経140度18分1.06秒 / 北緯38.7558222度 東経140.3002944度)に開校した[8][7]。その後村の共有郷倉に移転し、1880年6月には16の4番地[注 1]に校舎を建設して移転した[7][9]。移転と同時に「日新学校」と改め、1887年4月には山屋集落や関屋集落などを学区とする山屋学校を統合し、「金沢尋常小学校」となった[10][11][7]。山屋学校は山屋分校となるも、1892年4月に再度、山屋尋常小学校として独立した[12]。 鳥越尋常小学校は、「鳥越学校」として1874年5月に鳥越村の如法寺(北緯38度44分23.68秒 東経140度18分49.46秒 / 北緯38.7399111度 東経140.3137389度)に開校した[13]。1881年10月には休場集落の民家敷地に、休場分校を設けた[14]。1887年4月、第一次小学校令により「鳥越簡易小学校」となったのと同時に、休場分校を廃止した[10][15]。その後第二次小学校令が公布されると簡易小学校は廃止され、1892年4月に「鳥越尋常小学校」となった[15][16]。 福田尋常小学校は、「福田学校」として1879年2月に福田村の覚性院に開校した[17]。学制発布から7年後に開校した当校は、最上郡内でも後発となった[18]。1884年3月に民家へ移転したのち、翌1885年5月には村有地に校舎を設けた[19][7]。1887年4月には第一次小学校令により、「福田簡易小学校」と改称した[10]。 年表
特色のある教育活動特筆すべき活動として、宿題がないことが挙げられる[35][36]。 教育目標
出典:[37] 施設概要主な施設。面積は延床面積を記載。 学区
出典:[2] 進学先の中学校アクセスバス鉄道周辺
著名な出身者
脚注注釈出典
参考文献
関連項目外部リンク |