新山 滋(にいやま しげる、1909年4月1日 - 1994年7月18日)は、日本の経営者。
経歴
和歌山県和歌山市出身。1927年に海草中学校を卒業し、同年に南海鉄道(南海電気鉄道の前身)に入社し、1959年6月に総務部長に就任した。その一方で、1964年10月から1974年10月までに南海ホークス球団社長を務め、1972年にはパ・リーグ理事長に就任した[2][3]。
1994年7月18日、急性肺炎のために堺市の病院で死去[4]。85歳没。
脚注
- ^ 1994年 7月19日 読売新聞 朝刊 p31
- ^ 1972年 3月9日 読売新聞 朝刊 p11
- ^ 1994年 7月18日 日本経済新聞 大阪朝刊 p16
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第23版 下』人事興信所、1966年。