新居見町
新居見町(にいみちょう)は、徳島県小松島市の町名。郵便番号は773-0011。 地理小松島市の北西部に位置する。新居見山地の北麓に位置し、北は東流する芝生川によって、田浦町・芝生町と相対している。 主として南部の山麓に農村集落が発達し、北部は芝生川に沿って湿田地帯が展開していたが、昭和53年度より、団体営新居見地区圃場整備事業により約20haに及ぶ地上げ工事を行い、昭和57年度に完了した。 新居見町は純農村で米作を主としながら、イチゴ等の施設園芸や酪農も行われている。 河川小字
歴史南部の芝生山に新居見城が築かれ、治承・寿永の乱の時期には近藤六親家の居城であった。源義経が小松島へ上陸したとき、伊勢義盛の説得に応じて、近藤六親家は義経の軍に加わり屋島へ先導した。 新居見村新居見村は江戸期から明治22年にかけて勝浦郡に存在した村。江戸期は新居之見村とも称した。徳島藩領。 江戸期の小松島地方は御止野とされており、毎年春・秋には藩主や重臣の鷹狩りが行われた。特に、当村と日開野村の川辺には茅が繁茂していて、鳥類が多く、御召野と称されて、一般の人々の狩猟は厳禁されていた。 明治4年に徳島県、同年に名東県、明治9年に高知県を経て明治13年に再び徳島県に所属。 新居見新居見は明治22年から昭和32年にかけて存在した大字名。はじめ小松島村、明治40年より小松島町、昭和26年からは小松島市の大字となる。 稲作を主体とした農業地域で、昭和初期から山林を開いて、温州ミカンの栽培が行われ、また副業としては莚・叺など藁加工品の生産が大正期から昭和20年頃まで行われていた。第二次世界大戦後、肉用牛の飼育が盛んになり、野菜・イチゴの栽培も行われるようになった。 新居見町昭和32年より現在の町名となる。昭和57年の耕作反別は田33.3ha、畑2ha、果樹園9a、筍10aで、米・温州ミカン・筍のほかに肉用牛の飼育が行われ、複合的な農業が営まれている。 世帯数と人口2022年(令和4年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。
脚注参考文献
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