政治家 (対話篇)
『政治家』(古希: Πολιτικός、ポリティコス、羅: Politicus、英: Statesman)とは、プラトンの後期対話篇の1つであり、『ソピステス』の続編。副題は「王者の統治について」[1]。 構成登場人物
時代・場面設定紀元前399年、アテナイ、某体育場(ギュムナシオン)[2]にて。前作『ソピステス』で描かれた、エレアからの客人とテアイテトスの対話が、終わった直後から話は始まる。 客人にソフィストについての考察を説明してもらい、感謝の言葉を述べるソクラテス。テオドロスは、残りの政治家、哲学者についての説明もしてもらえると期待し、客人もそれに同意する。 客人の提案で、ここまで長い対話に付き合ってきたテアイテトスを休ませ、一緒にいたテアイテトスの友人である少年ソクラテスを相手に、政治家についての問答が行われる。 補足前作『ソピステス』の最初の方で、ソクラテスが「ソフィスト、政治家、哲学者の三者とはいかなる者か」と問い、本作『ポリティコス(政治家)』の冒頭でも再度、残りの政治家、哲学者の説明を求めているため、プラトンは、前作『ソピステス』と本作『ポリティコス(政治家)』に加えて、『ピロソポス(哲学者)』という「三部作」の締め括りの対話篇を構想していた可能性が高い[3]。 前作『ソピステス』に続いて、「分割法(二分割法, ディアイレシス)」と呼ばれる、「対象の内容を、二分割(二者択一)を繰り返して絞り込んでいく」という特徴的な手法が用いられている。 内容「エレアからの客人」が、少年ソクラテスを相手に、「分割法(ディアイレシス)」と「類例(パラデイグマ)」を用いて「政治家の知識・技術(政治術)」の内容を絞り込んで行き、最終的に政治家の妥当な規定を探り当てるという構成になっている。 基調としては中期の『ポリテイア(国家)』の「哲人王思想」が引き継がれ、より理想化された「真の政治家」「真の王者」像が探求され、それが「政治家」のあるべき規定・定義として結論付けられることになるが、他方で途中の議論においては、対照的に「法律の長所・短所」や「現実的な次善の国制」についての考察も行われており、最後(後期末)の対話篇である『ノモイ(法律)』との内容的な接続を考える上では、こちらの後者の方がむしろ重要になってくる。 また、最初の方で語られる、「創造主としての神」が登場する宇宙論的物語(神話)は、続く新しい三部作の最初の作品『ティマイオス』におけるデミウルゴスによる宇宙生成論の原型とも言えるものであり、共に最後(後期末)の対話篇『ノモイ(法律)』第10巻における神学へとつながる内容となっている。 なお、本篇の末尾で述べられる、「勇気」と「節制/慎重」の (血統的/思想的)「混合/結合」を推奨する発想は、
と同類のものであり、プラトンの倫理学・政治思想における最重要な発想の1つとなっている。(そしてこうした発想は、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』における、「中庸」概念や、「(人間にとっての/合成的な) 最高善」概念、あるいは『政治学』における「混合制 (混合政体)」にも、受け継がれている。) 導入『ソピステス』のやり取りの直後。老ソクラテスはテオドロスに向かって、あなたのおかげでテアイテトスや「エレアからの客人」といった素晴らしい人物と知り合いになれたと感謝を述べる。テオドロスは、客人はまだ「ソフィスト、政治家、哲学者」の内のソフィストについて述べたに過ぎないので、3者の説明が全て終われば、ソクラテスから3倍の感謝をしてもらえることだろうと返しつつ、客人に話の続きを促す。 客人は、テアイテトスを休ませて、今度は一緒にいる彼の学友である少年ソクラテスを問答相手にしたいと申し出る。テオドロスも同意する。 老ソクラテスは、テアイテトスと少年ソクラテスに関して、前者は容姿が自分に似ていて、後者は名前が自分と同じということで、一種の近親・同族関係にあるように思えるし、彼らを相手にして色々論究したいし、特に少年ソクラテスとはまだやり取りをしたことがないので、いずれ少年ソクラテスと問答をしたいと述べつつ、とりあえず今回は客人の相手をするよう促す。 こうして客人と少年ソクラテスの問答が始まる。 「王者/政治家」の「知識/技術」の絞り込み客人は、ソフィストに続いて今度は「政治家」について探求・説明することにし、「政治家」もまた何らかの「(技術についての)知識」を持っているのではないかと問う。ソクラテスは同意する。 客人は、「あるべき政治家(王者にふさわしい人)」の「知識/技術」に関しては、ソフィストのそれとは違う分割の仕方をする必要があるとして、まずは以下のように、「知識/技術」を分割し、その内容を絞り込んでいく。
しかし客人は、「人間を扱う集団飼育」の「知識/技術」を持った「牧養者」というだけでは、まだその中に「王者(政治家)」のみならず、「貿易商人」「農耕者」「穀物加工業者」「体育教師」「医者」など、様々な人々が含まれ得るので、この規定ではまだ不十分であり、あくまでも粗描ができた程度に過ぎないと指摘する。ソクラテスも同意する。 「宇宙の二時代」についての神話そこで客人は、「王者(政治家)」についてのより精緻な議論をしていくに当たって、そのイメージメイキングのために、「宇宙の反転運動と二つの時代」に関する神話を披露することにする。 客人は、「ゼウスがアトレウスに味方して、天体の回転を反転させた」とか、「かつてクロノスが統治した黄金時代があった」といった様々な昔話は、実は「過去の同一の事象」を表現したものであり、それが時間経過によって断片化し、その一部が伝承されたものだと主張する。 そしてその「過去の同一事象」としての、「宇宙の反転運動」を含む「宇宙論」について、以下のように語り出す。 客人によると、この宇宙は、
という2つの状態を、定期的・循環的に反復しており、両者の間では「宇宙の回転運動」の向きも反対になる。(最も直近のその切り替わりを、伝承では「クロノスの黄金時代」(前者)と、「ゼウスの(銀・青銅・鉄)時代」(後者)として表現したとする。) イデアのような常に同一性・同一状態を保っている神聖な一群は、「宇宙の回転運動」の影響を受けないが、動物(の肉体)を含む物体は「宇宙の回転運動」の影響を受ける。前者の神によって統御された時代の「宇宙の回転運動」では、動物はみな若返って消滅していき、後者の神に放置された時代の「宇宙の回転運動」では、動物は老いて消滅していく。 こうして動物は「宇宙の回転方向」に合わせた「若返り」と「老い」を相互に繰り返すことになる他、「宇宙の回転方向」が切り替わる時には、その衝撃で全ての動物種において大規模な死滅が発生する。 前者の神によって統御された時代には、動物たちは種類ごとに下位の神々・神霊が牧養者のように分担管理していた。その結果、動物たちには獰猛なものが見られず、食い合いも、戦争・内紛も発生しなかった。種々の政体の国家なども存在し無かったし、妻・子供の所有も無かった。また人間たちは果樹・森林樹から果実を際限なく入手していたし、衣類も寝台も持たず、穏やかな四季と大地に生えた豊富な草によって野外で生活することが可能だった。 また人間たちは、いろいろな野獣と仲良く言葉をかわせるだけの閑暇と能力を持っていた。そこで客人は仮説として、それを当時の人間が「愛知(知恵の集積)の営み」に活用していたならば、その幸福は現代人を無限に凌駕していただろうと指摘する。 しかし、後者の神によって放置された時代になると、「宇宙誕生以前の状況」に起因する忌むべき不正・不協和な性格が動物の内外に反映されるようになり、時間が経過し、神が忘却されるにつれて、その勢力を強め、その極盛期には優良なものは僅少となる。こうして宇宙は「優良」とは反対のものから成る「混入物」を自分の中へ多量に注ぎ込み続け、破滅の危機を迎える。こうして宇宙が「混乱」「無限定」「類似性完全剥奪」に陥る憂慮が生じると、神が再び介入して宇宙を正しく建て直すことになる。 また、後者の時代においては、人間も神霊の保護を失い、自力で生計を立て自分たちの保護もしなくてはならなくなったが、凶暴化した野獣の餌食となったり、食料に困るなど、非常な苦境に立たされた。そこで様々な神話が伝えているように、プロメーテウスからは火が、ヘーパイストスとアテーナーからは種々の技術が、デーメテールやディオニューソスからは種子と植物が授けられるなど、神々から授けられた道具立てによって人間らしい生活が可能になった。 「王者/政治家」の「知識/技術」の絞り込み2客人は、先の神話の内容を踏まえた上で、自分たちは今現在、後者の時代に身を置いているのにもかかわらず、前者の時代の「神(聖霊)」のような存在に与えられるべき「人間の牧養者/飼育術」といった名称/表現を、不遜にもこの(後者の)時代の「王者/政治家」に与えるという誤謬を犯してしまったことを指摘しつつ、「飼育術」という表現を「世話術」に修正した上で、以下のように「王者/政治家」の「知識/技術」の絞り込みを再開する。 しかし客人は、自分たちは先の神話のようなあまりにも規模壮大な「類型」を持ち込んでしまったせいで、外側の「輪郭」は描けても、その「内部」を明瞭に詳論できていないと指摘する。 そして客人は、子供が「字母の綴り(音節)」を既知の音節の「類例」(との共通点)によって理解・把握するのと同じように、「政治家の技術」を理解・把握するのにも「類例」が必要だとして、「機織り(はたおり)術」をそれに挙げる。 「類例」としての「機織り術」「物品」の分割客人は、「類例」としての「機織り術」を論じるに当たって、まずは以下のように、「人間が制作・取得する物品」を分割する。
そして客人は、この最後の「着物(羊毛衣服)」を作る「着物制作術(羊毛衣服制作術)」において、「機織り術」は役割の大きな構成要素になるのであり、この両者の関係は、「王者の持つべき技術」と「政治家が持つ技術」の関係のように、ほぼ同義であると指摘する。ソクラテスも同意する。 「着物制作の関連技術」の分割しかしここで客人は、まだ「機織り術」以外にも「着物制作術」に関連する(含まれ得る)技術として、
など、様々なものがあるので、これらをちゃんと区別・排除しなくてはならないと指摘する。ソクラテスも同意する。 そこで客人は、「着物制作術」に関連する技術を、以下のように分割し、「機織り術」の範囲を明確にする。
「測定術」と「評価」「比較」と「基準」するとここで客人が話題を変え、ここまでしてきたような「機織り術」(や「宇宙論」)のような「遠回りな議論」を、どのように評価し、称賛・非難すべきなのか、その「測定術」についての話を始める。 まず客人は、「測定術」を、
に2分割する。 そして客人は、「優秀な者と劣悪な者」(を分ける「徳」)だとか、(「機織り術」「政治家の技術」なども含む)諸々の「技術」だとかは、後者の測定術と関わっており、仮にこの後者の測定術が成り立たなければ、それらを見出すことも不可能になってしまうと指摘する。ソクラテスも同意する。 また客人は、(「数学・幾何学」という「測定術」を用いる「ピタゴラス学派」のように)特定の「測定術」を森羅万象に適用しようとするも、「「真の種類」に合わせて分割しながら考究する」という習慣を身につけていないがゆえに、事物の「類似・相違」をうまく見出すことができずに誤った分割をしてしまう人々がいることを指摘しつつ、苛立ち・恐怖に負けずに「真の差異」を見極めていくことの重要性も指摘する。ソクラテスも同意する。 「非感覚的な実在」と「弁証術」さらに客人は、字母を学習する子供たちが、「特定の一つの単語」だけでなく、「全ての単語」を学んで「正字法」全般に通じた者になることを目的としているのと同じように、今「政治家」の正体を探索している自分たちも、「全ての事柄」を論じられるように「弁証術(ディアレクティケー)」に熟達することが目的であることを指摘する。ソクラテスも同意する。 そして客人は、「有るもの(有)」には、
の2種類があり、前者は類似(相違)関係を理解しやすく、論究も必要無いが、「この上なく高貴・偉大・尊厳な部類の実在」が含まれる後者は、「論理(弁証術)」によってしか示すことができないので、「論理(弁証術)」によって「説明を述べる」ことも、そうした説明に「耳を傾ける」ことも、どちらもできるように訓練を積む必要があることを指摘する。ソクラテスも同意する。
に依拠すべきであって、その「基準」に合うのであれば、その論究が長かろうが遠回りであろうが、嫌がらずに大いに熱意を燃やすべきだと指摘する。ソクラテスも同意する。 こうして補助的な議論を終えた客人とソクラテスは、再び「政治家」へと話題を戻し、「機織り術」という「類例」を適用しつつ、その探索を再開する。 「国家の関連技術」の分割「補助原因(構成要素)」としての「所有物」客人は、「機織り術」でのくだりと同じように、まずは「国家(ポリス)/政治家の術(ポリティケー)」を成り立たせる「補助原因(構成要素)となるもの(についての技術)」を列挙し、排除していくことにする。 まず客人は、国家の「所有物(についての技術)」として、
の7つを挙げる。 そしてさらに、最初の議論の二分割で出てきて排除された、
も、ここに一緒に挙げる。 「王者」と競合し得る「召使い」以上の「補助原因(構成要素)となるもの(についての技術)」に携わる人々を排除すると、「王者」と競合する可能性があるのは、
のみとなるが、主人に購入されて隷属している「奴隷」が、「王者の持つべき技術」を持ちたいと熱望することはあり得ないので、「召使い」のみが残る。 そして、「召使い(召使い的奉仕を行う人々)」としては、まずは、
などを挙げることができるが、これらは「王者」の競合者としては、とりあえずは排除することができる。 続いて、
といった類の人々を挙げることができる。これらも一見、ただの奉仕の技術のように見えるが、エジプトにおいては国王は神官を兼務しなくてはならないし、アテナイにおいても(形骸化したものの)その名残が残っている(アルコーン・バシレウス)ように、「宗教行事」は国家統治機関の中枢部を占めるものであり、軽視することはできない。 また他にも、
という「異様でいかがわしい人々」もいるので、何とかして彼らを「政治家(王者にふさわしい人)」の部類から排除しなくてはならないと客人は指摘する。ソクラテスも同意する。 そこで客人は次に、諸々の政治的支配形態(政体/国制)について、考察することにする。 「政体/国制」と「統治」「唯一正当な政体」(原型)と「諸々の政体」(模写)客人は、一般的に政治上の支配形態(政体/国制)は、
などを基準として、
などに分けられているが、政体を考察する上で、真に唯一重要な基準は、
であること、そして、
などを指摘する。 ソクラテスも客人の主張に概ね同意するが、「法律の無視」を肯定する部分だけが、どうも引っかかると返答する。そこで客人は、続いて「法律」について検討してみることにする。 「王者の統治」と「法律の限界」客人は、「最善の理想的状態」といったものは、「知識/技術を具備した王者」のみが生み出せるものであり、「法律」では無理だと指摘する。 ソクラテスがそれはなぜかと問うと、客人は、
ものであり、
からだと指摘する。 例えば「法律」は、
であると。 そして客人は再度、(「医者/船長」は、「医学教科書/航海規則書」を無視しようが、手段が強圧的であろうが、自分の「技術」を用いて「患者/水夫」に利益をもたらしさえすればいいのと同じように)「王者/政治家」は、「法律」を無視しようが、手段が強圧的であろうが、自分の「知識/技術」を用いて「国民」に利益/改善をもたらしさえすればいい、それこそが「国家の正当な管理(統治)」に関する「唯一真正な基準」であって、他の条件を顧みる必要など無いことを強調する。ソクラテスも同意する。 「次善の原則」としての「法治主義」の害悪と利益しかし客人は、先に「模写」であると指摘した諸政体であっても、仮に、
なるものがあったとしたら、その「法律」を活用する限りは、その政体は、「唯一正当な政体」に準じた政体となることができるのであり、そういった意味では、
は、上述してきた「政体」についての「最高原則」(「国家国民の利益/改善」のための、「知識/技術」を持った王者による統治)に次ぐ、「次善の原則」と見做せると指摘する。ソクラテスも同意する。 そして客人は、その「法治主義」が、(とりわけアテナイのような「民主政」(あるいは「貴族政」)と結び付いた、「民主的/貴族的(権限分散的)法治主義」として)どのように(「自己防衛的」に)形成され、結果どのような(「硬直的/閉塞的」な)事態を招くことになるかを、(再び「船長/医者」を例として、彼らが「自分たち」に「非道な行い」をする場合を「想定」して)述べていくことにする。それによると、
といった事態が、招かれてしまうことになる。 しかし他方で客人は、そうした「法律」は、少なくない「試行錯誤」と、しかるべき「助言者の助言」、また「民衆の納得」を経て成立しているのであり、そうしたものを、「知識/技術」が無いにもかかわらず、私利・私欲・私情に駆られてあえて踏み越えようとする者の行動は、確実に国家社会にもっとひどい混乱/害悪を招くことになるのであり、「法治主義」はそうした「より悪い状況」を防止しているという点では、「次善の方策」と言えるとして、肯定的な評価も付け加える。 「次善の政体」と「ソフィスト」客人はこれまでの議論から、
ということを確認しつつ、さらに、
ということを指摘した上で、
ということを指摘する。ソクラテスも同意する。 しかし客人は、先の議論で出てきたように、実際の国家における「法治主義」は、「成文法」や「慣習(不文律)」によって国民の行動を規制しようとするものであって、その管理/規制下におかれたあらゆる「知識/技術」は廃れていってしまうのだから、そうした諸々の政体で、これまでもこれからも「無数の禍」が生じるのは当然のことであり、また数多くの国家は、「無知」でありながら自分には「知識/技術」があると思いこんでいる無能な「船長/水夫」に操縦された「難破船」のような有り様となり、これまでも滅亡してきたし、これからもそうなると指摘する。ソクラテスも同意する。
客人はまず、「単独者支配」「少数者支配」「多数者支配」の三分類を、先に出てきた「次善の原則」である「法律(法治主義)」の観点からそれぞれ明確に二分割し、以下のように全部で六等分する。(すなわち、以前は「民主政」を分割せずに五分類だったのを、今回は「民主政」も二分割した。)
そして客人は、
と指摘する。
また客人は、これらとは異なる「第七番目の政体」である「正当な(理想的)政体」は、「神」が「人間どもの群がる地上」を遥かに超えたところに居るのと同じように、こうした「あらゆる諸政体の、遥かかなたの上方」にその座を占めて、特別に神々しいのだとも指摘する。ソクラテスも同意する。
なのであり、彼らを「王者/政治家」の部類から排除しなくてはならないと指摘する。ソクラテスも同意する。 「王者/政治家」の「知識/技術」「従属的な技術」としての「弁論術/戦争術/裁判術」しかし客人は、なおも「王者」の傍に密着する「近親的な存在」がいるので、ちょうど「黄金を洗練する作業」と同じように、「王者(金)」と「それら(銀/銅/鉄鋼)」を分離する作業をする必要があると、指摘する。 そして客人は、その「銀/銅/鉄鋼」類に相当する「技術」として、
の3つを挙げる。(なお、ここで言う「弁論術」(レートリケー)とは、(ソフィスト等が私利私欲のために各種の用途で用いるそれではなく)あくまでも「王者の知識/技術」と協力しながら、「正義を実行」するように「国民を説得・指導」するものに限られるとも付言される。) そして客人は、「知識/技術」を、
の2つに分けることができるが、その両者の「支配-被支配」の関係を問うと、ソクラテスは、後者の「知識/技術」が、前者の「知識/技術」を支配すべきだと答える。 すると客人は、
の「支配-被支配」関係も、同様になるのではないかと指摘する。ソクラテスも同意する。 こうしてまず「弁論術」は、「王者/政治家の知識/技術」の下位にあって、これに奉仕する「技術」であることが確認された。 続いて、
に関しても同様に、「戦争術」が、「王者/政治家の知識/技術」の下位にあって、これに奉仕する「技術」であることが確認される。 そして最後に、
に関しても同様に、「裁判術」が、「王者/政治家の知識/技術」の下位にあって、これに奉仕する「技術」であることが確認される。 こうして客人は、「弁論術」「戦争術」「裁判術」の3つの「知識/技術」は、「国家(ポリス)の全体を配慮し、それを完璧にまとまった一枚の織物のように織り上げていく知識/技術」としての「王者/政治家の知識/技術(ポリティケー)」とは異なると同時に、その下位において支配され、その決定(政策)をそれぞれの分野で実行するだけのものであると指摘する。ソクラテスも同意する。 「勇気(強硬)」と「慎重(穏健)」こうして「王者/政治家(の知識/技術)」以外の人々(の知識/技術)を排除し終えた客人は、いよいよ締め括りとして、その「王者/政治家の知識/技術」の内実、すなわち「機織り機」という「類例」で言うところの「編み合わせ作業」の中身へと、踏み込んでいくことになる。 そこで客人はまず、人間の
という2つの対立的な性質/気質について取り上げる。 これら2つは、時宜・限度が合った形で発揮された場合には、「美徳」とされ、それぞれ
などと称賛されるが、時宜・限度が合わない形で発揮された場合には、それぞれ
などと非難されるものであり、また相互に相容れず(混じり合わず)、常に対立/闘争/憎悪し合ってもいる。 (そして人間は誰しも、その「2種類の性格」の「どちらか一方」を、「自分の固有の気質」と合致するものとして称賛し、「他方」を「自分たちとは根本的に異質」だと非難し、敵対しがち(敵対関係に、巻き込まれ/飲み込まれがち)である。) そうした対立/闘争/憎悪が、「遊戯」水準で済んでいる内はいいが、「国家公共の最重要事項」の上に生じてくると、「国家の存立」を脅かす「最恐の病弊」となる。すなわち、
といった、実際に諸国家が辿ってきた滅亡の道へと進む危険性が孕まれているのにもかかわらず、両者は党派的な敵対/憎悪関係をやめることができないと、客人は指摘する。ソクラテスも同意する。 「優良な材料」の選定続いて客人は、(「機織り術」や「王者/政治家の知識/技術」など)「構築的な合成」を行う「知識/技術」では、より良い「製品」を合成するために、「劣等な材料」を除去し、「優良な材料」だけ手元に残すことを指摘した上で、「王者/政治家の知識/技術」においても、より良い「国家」を作り上げるために、「優良な人間」を選抜することを指摘する。 すなわち、
といったことを行うと指摘する。ソクラテスも同意する。 「王者」の「編み合わせ作業」続いて客人は、「王者/政治家の知識/技術」では、そうして選抜された「優良」な者たち、すなわち
の中から、
分けつつ、(本来は相互に反対方向へ進もうとし、決して混じり合わない)両者を、「魂/肉体」の両面から、すなわち
ことによって、「魂/肉体」の両面から、「堅く一つにまとまった、滑らかで細密な織り物」を織り上げた上で、
ことになると指摘する。ソクラテスも同意する。 そして客人は、「王者/政治家の知識/技術」がこのように、
と指摘する。 ソクラテスは「王者/政治家」の説明が十分に述べ尽くされたことを理解し、客人に(「ソフィスト」の説明に続いて二度目の)お礼を述べる。 日本語訳脚注関連項目 |