撫養町(むやちょう)は、かつて徳島県板野郡にあった町。現在の鳴門市撫養町(黒崎・斎田・南浜・木津・大桑島・小桑島・岡崎・弁財天・北浜・林崎・立岩)。古くより鳴門の中心的市街地。
1889年の町村制実施時に徳島県内で「町」だった2つの自治体のひとつ(もうひとつは脇町)。
歴史
近畿と交通の便がよかったことから奈良時代・平安時代から開けていた[1]。天平5年(733年)完成の風土記のものとされる逸文に「むや」の記述があり、これが史料として最も古い[1]。『土佐日記』には「牟野 (むや)」とされている。室町時代には三好氏の城下町だったが、天正13年(1585年)に蜂須賀家政が阿波九城の一つ岡崎城(撫養城)を築いてから淡路渡海の押えの地として特に発展した[2]。 江戸時代は「斎田塩」の製塩業、塩・藍などの積み出し港として栄えた[2]。四国の門戸として、日本各地から廻船が集まり、全国でも有数の港町だったが、港口付近に暗礁が多く、大型船の航行に支障があったため、昭和に入ると次第に港町としての機能は衰えていった[1]。また1934年(昭和9年)の室戸台風の暴風雨により、塩田が全滅する大打撃を受けた[3]。
沿革
参考文献
脚注
- ^ a b c 撫養港のみなと文化西田素康、みなと総合研究財団
- ^ a b 撫養Kotobank
- ^ 風速実に六十五メートル、室戸で観測『大阪毎日新聞』昭和9年9月26日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p235 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
関連項目