|
この項目では、手塚治虫の曾祖父の光亨について説明しています。光亨の父の良仙については「手塚光照」をご覧ください。 |
手塚 良仙(てづか りょうせん、または良庵(りょうあん)、文政9年(1826年) - 明治10年(1877年)10月10日)は、幕末から明治時代初期の医師・蘭学者。名は光亨。息子は司法官の手塚太郎。大槻俊斎は義弟にあたる。漫画家の手塚治虫の曾祖父である。
略歴
江戸の蘭方医・常陸国府中藩医の手塚良仙(手塚光照)を父に生まれ、緒方洪庵の適塾に入門。福澤諭吉らと親しむ。江戸に帰って、伊東玄朴・大槻俊斎らと図り、お玉が池種痘所設立。
父の跡を継ぎ、良仙と改名。幕府歩兵屯所付医師となり、維新後、大日本帝国陸軍軍医となる(大尉相当官)。西南戦争に従軍、九州で赤痢に罹り、長崎陸軍病院にて死去した。
家族・親族
手塚家
著書
登場する作品
- 手塚治虫『陽だまりの樹』
- 手塚良仙を主人公の一人とした歴史漫画。大阪の岡場所で手塚ではなく鉄川と名乗っていたエピソードが描かれているが、これは当時適塾で学んでいた福澤の著書『福翁自伝』中の「遊女の贋手紙」の章でも書かれている。
- みなもと太郎『風雲児たち 幕末篇』
- 幕末史の群像劇を描いた大河歴史ギャグ漫画。適塾時代の福澤のエピソードで、顔が手塚治虫の自画像風で、さらに髷までベレー帽風に描かれた良仙が登場する。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク