慶裕

慶裕(けいゆう、キンユ、満洲語: ᡣᡞᠩᡞᠣᡞ[1]、転写:kingioi、? - 1894年)は、末の官僚。は蘭圃。満州正白旗人。ヒタラ氏(hitara hala、喜塔臘氏)。

生員から内閣中書に登用され、軍機章京・総理各国事務衙門行走となった。文祥(ウェンシャン)に従って王達白凌阿の蜂起の鎮圧に赴き、侍読に昇進した。その後湖北省鄖陽府知府となり、捻軍の追撃に功があり、道員に昇進した。光緒元年(1875年)、奉天府尹となり、さらに漕運総督河道総督を歴任した。光緒9年(1883年)に盛京将軍となったが、翌年に清仏戦争が勃発し、旅順大連の守りを固めた。その後、災害対策に力を注いだ。光緒19年(1893年)、熱河都統に異動。さらに翌年には福州将軍となり、行政改革を行った。在任中に死去。

脚注

出典

先代
張樹声
広西巡撫
1879年 - 1882年
次代
倪文蔚
先代
周恒祺
漕運総督
1882年 - 1883年
次代
楊昌濬
先代
梅啓照
河道総督
1883年
次代
成孚(チェンフ)
先代
崇綺(チュンキ)
盛京将軍
1883年 - 1889年
次代
裕禄(ユル)
先代
廷雍(ティンヨン)
熱河都統
1893年 - 1894年
次代
崇礼(チュンリ)