慶栄寺
慶栄寺(けいえいじ)は愛知県名古屋市西区にある真宗大谷派の寺院。山号は阿原山。本尊は阿弥陀如来立像。 由緒永正元年(1504年)、春日院善正によって美濃国多芸郡に創建されたが[1]、後に尾張国春日井郡の阿原村(現・清須市)に移転した[1]。なお、阿原村で創建されたとする説もある[2][3]。清洲越しの後に名古屋の皆戸町(現・中区丸の内一丁目)に移ったとされるが、移転年度については寺伝の慶安2年(1649年)のほか、慶長15年から18年(1610年 - 1613年)、3世寿玄の時代(1582年 - 1671年)などこれも複数の説がある[1]。 元禄13年(1700年)の大火で焼失[1][2]。再建されたが享保9年(1724年)5月13日の大火で再び被害を受けたことから、同年12月に圓頓寺筋に面した現在地に移転[2]。元文元年(1736年)から寛保元年(1741年)にかけて本堂を再建した[2]。 9世義諦は京都・東山から松涛庵を移築するなど複数の堂を建てた[1]。10世了義は藩主徳川慶勝との繋がりが深く、嘉永2年(1849年)に鐘楼堂を再建した際には尾張藩の管理する木曾檜を用材とした[1]。また、慶勝が作らせた折りたたみ式茶室の「御席屏風」を拝領し、徳川美術館に寄贈された広間席以外は現在も寺宝として所蔵する[4][5]。 近代京都・法光寺の末寺であったが明治維新を経て東本願寺の末寺となった[2]。1919年(大正8年)、火災によって太子堂と松涛庵を除く全ての堂宇を焼失。1923年(大正12年)、竹中工務店によって本堂が再建されている[6]。1945年(昭和20年)の名古屋大空襲で円頓寺界隈も多くが焼失したが、当寺は被害を免れた[1]。 2008年の平成20年8月末豪雨で太子堂が被害を受けたことから約100年ぶりに改修が行なわれ、2009年(平成21年)11月から月1回の公開が行なわれた[7]。その後は年4回公開となっている。 建造物
宝物出典
参考文献
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