慶佐次通信所
慶佐次通信所(げさじつうしんじょ、Gesaji Communication Site)は、かつて沖縄県国頭郡東村に位置した約0.01km2の米軍基地 (施設番号 FAC6006)。1963年11月、うるま市伊計島の伊計島ロラン局を東村慶佐次に移転し開設した。慶佐次通信所は国内最後のロランC局として2015に閉局し、土地は2016年に日本に返還された。なお、施設名の「慶佐次」は「げさじ」と発声するが、字名としての「慶佐次」は「げさし」と発声する。 基地概要1963年11月16日、うるま市伊計島にあった伊計ロラン局を東村慶佐次に移転し、慶佐次ロランC局を開局した。通信所が占めていた土地は、すべて私有地である。
地理沿革
その他1963年~1975年頃、施設建設の際に樹林を伐除して整地したため保水力が低下し、降雨時に通信所から雨水が流入し赤土が堆積して廃田の状態で休耕を余儀なくされた[8]。 2015年、4月の村長選の公約に掲げるため、東村の伊集盛久村長らが跡地のUSJ誘致計画などについて首相官邸で菅官房長官らと会談し、誘致への協力を求めていた[9]。 沖縄にあった米軍のロラン局1942年10月、第二次大戦中に米国が開発し実用化したLORANのシステムが太平洋上で業務を開始し、太平洋戦争に貢献した。戦後も、米国防省は軍事的理由から北半球各地にロランチェーンを展開し、占領後の沖縄や日本と周辺地域にロラン局を設置した[10]。以下は米沿岸警備隊が沖縄で開設したロラン局である。
脚注
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