怪物 (2023年の映画)
『怪物』(かいぶつ)は、2023年の日本映画。監督は是枝裕和、脚本は坂元裕二[4]。主演は安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太[5]。第76回カンヌ国際映画祭において、脚本賞[6]、クィア・パルム賞[7]を受賞した。 公開3週目である6月18日(日)の時点で190以上の国や地域でも展開されることが決定した[8]。 音楽を担当している坂本龍一は公開前の2023年3月に死去したため[9]、本作が遺作となった。 あらすじ物語は大きな湖の岸辺の町で起きた雑居ビル火災に始まり、麦野沙織・保利道敏・麦野湊の3人の視点で描かれる。 シングルマザーの麦野沙織は、小学5年の息子・湊と一緒に消火活動を自宅から眺めていた。湊が将来健康なまま成長することを生き甲斐に働き、亡くなった夫の分まで目一杯愛情を持って子育てする沙織。だが湊は学校で怪我をしたり、靴を片方だけ失くしたり、塞ぎ込んだりと様子がおかしい。問い詰める沙織に「自分の脳は豚の脳と入れ替わっている。担任の保利道敏にそう言われた」と話す湊。 沙織は担任と話すために小学校へ向かったが、校長や教頭たちは頭を下げるばかりで真摯に向き合おうとしなかった。何度も学校に押しかける沙織に「湊は同級生の星川依里という少年をいじめている」と話す保利。しかし依里は「自分はいじめられていない。保利はいつも湊に暴力を振るっている」と証言した。保利は保護者会で謝罪させられ、退職に追い込まれる。 雑居ビル火災の夜、恋人にプロポーズする保利。教師である彼は教室で暴れる湊を止めようとした際、肘が湊の鼻に当たり鼻血を出させてしまった。母親の沙織が学校に来たと聞いて事情を説明しようとするが、校長や教頭たちはトラブルを嫌い、保利に謝罪以外の行動を許さなかった。 星川依里は友達がおらず、宇宙人と呼ばれて同級生たちのいじめの標的になっている少年だった。湊にいじめられた確証を得ようと星川家を訪ねる保利。依里のシングルファーザーの父親は息子を化け物と呼び、「頭に豚の脳が入っているから人間に戻そうとしている」と平然と語った。 週刊誌に暴力教師と書かれ、恋人も離れて行ったことで精神的に追い詰められ、学校を退職する保利。引っ越しの準備中、無意識に依里の作文の添削を始めた保利は、あることに気づき麦野家に向かうが、湊の姿はなかった。台風の中、忽然と姿を消した湊と依里を、沙織と共に探しに行く。 雑居ビル火災の夜、ライターを持って出歩いていた依里は偶然校長と遭遇する。翌朝の登校時、深夜2時まで起きていたと湊に話す依里。湊と依里はすでに友達になっていたが、湊は自分もいじめの標的にされることを恐れ、人前では話さないようにと依里に約束させていた。湊が教室で暴れ、止めようとした保利の腕が当たって鼻血を出した時、湊はいじめられていた依里から同級生たちの注意を逸らそうとしていた。 依里が見つけた廃トンネルの先にある捨てられた鉄道車両を秘密基地にして、二人きりで仲良く過ごす湊たち。湊にとって母親の願いはストレスであり、父親のように男らしく生きられないことに罪悪感を抱えていた。依里は、自身を嫌悪する父親から日常的に虐待を受けていた。依里は「ビッグランチ(ビッグクランチの誤用)」が起こると宇宙が収縮を始め、時間が逆行するので、生まれ直すことが出来ると湊に話した。生まれ直す日を迎える準備を始める湊と依里。 依里が転校することになり、別れに怯える湊を抱きしめる依里。大型の台風が接近する中、星川家に侵入した湊は、父親から暴力を受け風呂場で朦朧としている依里を見つける。湊は「ビッグランチが来る」と言って依里を助け出し、廃電車の秘密基地に向かった。 いつものようにお菓子を分け合い車内で過ごす二人は防災のサイレンを聞き、出発の音だとはしゃぐ。土砂崩れで横倒しになる廃電車から這い出した湊と依里。「生まれ変わったのかな?」と問いかける依里に「そういうのはないと思うよ。元のままだよ」と返す湊。「そっか、良かった」と依里は笑い、二人は泥だらけのまま楽しそうに光の中に走って行った。 キャスト
スタッフ
主な受賞・選出
第43回ハワイ国際映画祭 [42]
制作・製作脚本是枝裕和にとって『万引き家族』以来5年ぶりの邦画作品である。脚本を手掛ける坂元裕二とは初めてのタッグかつ、監督デビュー作である『幻の光』以来となる自身が脚本執筆をしない一作となった。 2017年5月13日から8月6日にかけて、早稲田大学の演劇博物館で企画展「テレビの見る夢 − 大テレビドラマ博覧会」が開催された[55]。企画展の関連イベントとして、6月28日、早稲田大学大隈記念講堂で元々お互いの作品をよく見ていると公言していた坂元と是枝のトークショーが開かれた[56]。2人はこの時、いつか一緒に作品を作るかもしれないと感じていたと後にそれぞれのインタビューで話している[57][58]。 2018年、東宝の川村元気と山田兼司は、坂元に「映画の開発をしよう」と話を持ちかけた。「45分くらいの尺感で走り切って、それが3本立てになったらどんな映画になるのか」という話になり、監督として是枝の名前を挙げたのは坂元とされる[57]。同年12月18日、川村は是枝に「映画のプロットができたので読んでもらえないか」とメールした[57]。是枝は誰か脚本家と組むならとの質問の際には必ず坂元と即答するほどの大ファンであった。坂元も是枝について「大好きな映画監督。脚本家としての是枝さんも尊敬している」と表現していた。そうした経緯から念願の共同作業が実現した[4][59][60][61]。 脚本や撮影現場に関する監修は性的少数者の団体や子供の心のケアに関する専門家とゆっくり話し合い協力し合いながら行われ、2018年から3年かけて最終稿の台本が出来上がっていった[58][62][63]。坂元が書き下ろした初稿の内容は映画にすると前編・後編に分ける必要があるほどの物語の長さだったが、プロデューサーや監督、今作の主人公たちに関わる分野の専門家との話し合いを重ね坂元が余白を作り出す形で最終稿を書き上げた[58]。是枝は脚本を最初に読んだ時、「この少年2人は『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカンパネルラだ」と感じたという[64]。坂元は是枝との対談で「世の中には被害者の物語が溢れているが、加害者の物語はどんどんなくなり、むしろ描くことが困難になってきている。そのなかでどうすれば自分が加害者になって、お客さんに加害者の主観を体験してもらうことができるのかをある時から考えていた」と述べ[57]、そのほかのインタビューでは「本作の脚本を書いている時には今の自分の子供や自分が依里や湊と同じ年齢だった頃のこと、ある1人の友人のことをずっと頭の中で思い浮かべていました」「私たちは生きている上で、どうしても他者同士お互いに見えていないものがある。それを理解し合っていかなければならない時に直面した場合どういったことが起こるのか、そしてどうすればいいのか、その複雑さを表現するにはどうすればいいのか、長い間苦しみ悩みながら脚本を書きました」と答えている[65][58]。 本作はタイトルがないまま脚本の最終稿ができあがり、『怪物』という映画のタイトルは川村と是枝から提案されたものである[66][58]。 ラストシーンに関して、最後主人公は無事だったんですか?という質問をされた際には「生きています」と是枝、坂元は断言しており、是枝は「脚本初稿の段階から2人が亡くなるような展開は描かれておらず、現在の社会の現状を決して美化させる形で描いてもいなかった」「最後、フェンスが無くなった線路を主人公2人が駆け出していき、映画を見ている自分達が2人の未来から置き去りにされるイメージで制作したので、その構造から抜け出して置き去りにされるイメージを2人が亡くなったように深読みする人たちもいるのかもしれません」と述べている[66][58]。 撮影主演を務める4人のうち、黒川想矢と柊木陽太については是枝や坂元も審査に参加したオーディションによって選出された[5]。是枝は黒川と柊木に会うと最初に『銀河鉄道の夜』の話をし、読んでほしい、と言った[64]。 舞台設定は当初、東京都の西側の区域だった。脚本には、町を南北に分ける形で大きな川が流れているというト書きがあった。駅前での火災や、消防車の走行などのシーンの撮影を、東京都が許可しなかったため、千葉県と長野県諏訪地方が候補地に挙がった。ことに長野には「諏訪地方観光連盟 諏訪圏フィルムコミッション」(本部:諏訪市)[67]があり、協力体制が整っていたことから、まずは諏訪に下見に行こうという話になった。2012年にテレビドラマ『ゴーイング マイ ホーム』をロケ撮影を行ったときの信頼感も是枝にはあった。「諏訪圏フィルムコミッション」の宮坂洋介に案内されて行ったのが、2021年3月に廃校となった旧諏訪市立城北小学校だった。是枝は昇降口の吹き抜けや、街と湖が見渡せる教室からの景色を気に入り、撮影地を諏訪に決定した[68][69]。坂元には「大きな川」を「湖」に変えてほしいと依頼した[68]。是枝はメディアの取材に対し、「全体を貫くテーマと湖を重ねてみようと思った」と述べ[62]、「真っ黒い諏訪湖を見たときに『怪物だ』と感じた」と述べている[70]。 2022年3月19日〜5月12日、7月23日〜8月12日に長野県諏訪地方(諏訪市・岡谷市・富士見町・下諏訪町)の約25カ所でロケーション撮影がおこなわれた。地元の小学生ら約700人がエキストラとして参加した[71][72][62][73]。舞台となる旧諏訪市立城北小学校は、校名もそのまま「城北小学校」として映し出された[68]。秘密基地の廃電車は富士見町の旧瀬沢隧道の付近にオープンセットとして設営された。製作には、富士見町の建設会社「今井建設」が協力した。同社は2011年からテレビドラマ、映画、CMなどのセット造成に関わっており、本作品ではセットの資材の運び入れの方法も発案した[74][75]。主な撮影場所は下記のとおり[76]。
音楽坂本龍一が音楽を担当した経緯について、是枝は「撮影場所が諏訪に決まって描かれる脚本に風景が明快になった時、夜の湖に坂本龍一さんの曲の響きが重なった」と述べている[77]。映画の編集をしながら坂本の音楽を仮当てし、それに手紙を添えて坂本に作曲の依頼をした。坂本はすぐに是枝へ「全部を引き受ける体力はもう残ってないけど、(仮当てした映画を)観させて頂いたらとても面白くて、音楽のイメージが何曲か浮かんでいるので形にします。気に入ったら使って下さい」と手紙を送り、その後2曲の新曲と一緒に「すでに私が発表している楽曲から自由に使って頂いて構いません」というメッセージを映画の制作・製作陣へ送った[78]。 最終的に完成した映画には計7曲が使用された。内訳は新曲が2曲、1998年発売のアルバム『BTTB』から「aqua」、2009年発売のアルバム『アウト・オブ・ノイズ』から「hibari」と「hwit」、2023年1月発売のアルバム『12』から2曲。 2023年3月28日、坂本は東京都内の病院で死去した[9]。全国公開直前の5月31日、全7曲入りのアルバム『サウンドトラック「怪物」』が発売された。 公開・展開2023年5月16日、第76回カンヌ国際映画祭が開幕。『怪物』は5月17日に同映画祭で上映された[1]。5月18日、『怪物』の記者会見がカンヌで開かれ、是枝、坂元、安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太が参加した。英国のメディアが、日本映画にみる性的マイノリティ表象の少なさについて質問すると、是枝は「確かにそんなに多く今までは作られてこなかったのかなと思います。だだ、この作品をどういうふうに捉えるのかも含めて、僕もプロットを読んだ時に、この少年たちが抱える感情というものを、ある種の紋切り型に捉えていくのではなく、成長過程に起きる、誰もが感じるであろう内的な葛藤、自分の中に自分でも捉えきれない、言葉にしにくい感情を抱えてしまったときの少年たちの話であると僕自身は捉えました」「また、その制作のプロセスで、そういった不安をかかえた子供たちのケアをされている専門家の方に相談して、レクチャーをしていただいたり、そのようなアプローチをプロデューサー陣と相談しながら出来る限りした上で撮影には挑みましたが、そのことに特化した作品というふうには自分では捉えていませんでした。誰の心の中にも芽生えるであろう、それが時には他人に暴力的に向いてしまう、もしくは自分の中で自分自身を食い潰してしまうような、そういう存在と出会ったときに、どういうふうにそれを乗り越えていこうとするのか、そういう物語だと捉えました」と答えた[79]。さらに是枝は同日、ロイターの取材に応じ、「これらの子供たちの年齢はおそらく、自分たちの性的アイデンティティが十分に形成されていない年齢です。私はそのことにあまり焦点を合わせたくはなかったし、それを特別な種類の関係として考えたくなかった」と述べた[80]。 同年5月27日、カンヌ映画祭が閉幕。授賞式前に発表される独立賞として、LGBTに関連した映画に与えられるクィア・パルム賞を受賞した[7]。そして本賞の授賞式で脚本賞を受賞した[6]。クィア・パルム審査員長のジョン・キャメロン・ミッチェルは賞の授与に当たり、「世間の期待に適合できない2人の少年が織りなす、この美しく構成された物語は、クィアの人々、馴染むことができない人々、あるいは世界に拒まれている全ての人々に力強い慰めを与え、そしてこの映画は命を救うことになるでしょう」と述べた[81]。同日、フランスの「ル・モンド」はクィア・パルムに言及。「『怪物』は、二人の少年の間に親密な友情がめばえ、それが愛の関係に発展するというプロットを、非常に謙抑的に描いている」と報じた[82]。 同年6月2日、日本で全国公開された[1]。6月5日、全国映画動員ランキングトップ10(6月2日~4日の3日間集計)が発表。『怪物』は初日から3日間で動員23万1000人、興収3億2500万円をあげ、3位で初登場した[83]。6月はプライド月間にあたっていたが、配給に携わる東宝とギャガは性的少数者に言及するパブリシティを行わず、メッセージを発信しなかったことが批評家から指摘された[84]。6月30日、英語字幕付きの上映がTOHOシネマズ日比谷など都内3館で始まった[85]。 韓国における累計観客動員数が約50万人となり、これは是枝監督の韓国で公開された映画作品における観客動員数の最多記録となった[86]。 公開3週目である6月18日(日)の時点で190以上の国や地域でも展開されることが決定した[87]。 備考・エピソード
脚注出典
外部リンク
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