志道元勝
志道 元勝(しじ もとかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏家臣で長州藩士。父は志道元保。 生涯永禄5年(1562年)、毛利氏家臣・志道元保の三男として生まれる。 天正12年(1584年)6月27日、毛利輝元から河野通直への使者を務める命を受ける。 慶長2年(1597年)から始まる慶長の役に従軍して朝鮮へ渡海。蔚山城の普請に加わり、第一次蔚山城の戦いを戦った。慶長3年(1598年)1月27日、輝元は「蔚山での打ち続く苦労は言いようも無い。涯分油断無く帰国することが肝要である」との書状を、安国寺恵瓊を使者として元勝へ送っている。 慶長7年(1602年)6月28日に死去。享年41。同年7月26日に嫡男の志道金太郎(後の志道元治)が家督を継いだ。 参考文献
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