志賀剛二
志賀 剛二(しが ごうじ、1874年(明治7年)1月1日 - 1972年(昭和47年)4月22日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 経歴・人物宮城県出身[1][2]。1896年(明治29年)陸軍士官学校第7期卒業[1][2]。 1918年(大正7年)9月に熊谷連隊区司令官、1919年(大正8年)1月に陸軍歩兵大佐、1920年(大正9年)8月に歩兵第79連隊長を経て、1923年(大正12年)8月6日に陸軍少将に昇進と同時に待命、翌月の9月1日に予備役に編入した[1][2]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。 脚注参考文献
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