当間重民当間 重民(とうま じゅうみん、1900年〈明治33年〉8月19日 - 1952年〈昭和27年〉2月8日)は、戦前の沖縄県、沖縄諮詢会、及び沖縄民政府時代の政治家で那覇市長。 第2代行政主席の当間重剛の弟で、父は初代那覇市長の当間重慎である。 経歴明治33年(1900年)6月7日に沖縄県那覇区(現那覇市)で生まれた。大正15年(1925年)に早稲田大学高等師範部を卒業した。 卒業後は沖縄に戻り、酒造会社を経営したことで多額の税金を納めることになった。昭和18年(1943年)5月に貴族院多額納税者議員となった[1]。1946年8月17日、公職追放となり貴族院議員の資格が消滅となった[2]。 終戦後は沖縄に戻り、沖縄諮詢会や沖縄民政府の幹部を歴任した。1949年に那覇市長に当選した。 在任中は大胆な都市計画を推進していたが、任期半ばにして癌で亡くなった。 脚注参考文献
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