広橋賢光
広橋 賢光(ひろはし まさみつ、1855年9月29日(安政2年8月19日)- 1910年(明治43年)3月21日[1])は、明治期の官僚、政治家、華族。貴族院伯爵議員。 経歴山城国京都で権大納言・広橋胤保の第三子として生まれる[1][2]。父の死去に伴い1876年12月5日、家督を相続[1]。1884年7月7日、伯爵を叙爵した[3]。 1876年、内務省に入省[4]。以後、参事院議官補、法制局参事官、福岡県書記官、同第一部長、内務書記官、内務省参事官、同地理局長、内閣記録局長兼文事秘書官、宮内省調査局長、帝室制度調査局御用掛などを歴任[2][4][5]。 1882年、伊藤博文の憲法調査に随行してヨーロッパ各国を訪問し、1883年に帰国した[5]。 1890年7月10日、貴族院伯爵議員に選出され、1897年7月9日まで在任した[4]。 栄典
親族脚注
参考文献
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