干珠(かんじゅ)は日本海軍の帆走練習艦。艦名は関門海峡東口にある干珠島にちなむ。島名は日本書紀の記述に由来する。
艦歴
建造経緯
建造経緯は「満珠」と同じ。満珠 (練習艦)#建造経緯を参照。
建造
艦型は三檣バーク型[4][9]、明治19年度計画(1886年)で、小野浜造船所で建造された[13]。起工日は異なるが、進水、竣工とすべて同型艦の「満珠」と同一日である[14]。
竣工後
竣工後は練習艦として使用され[13]、1890年(明治23年)8月23日に第三種に定める[13][15]。日清戦争では軍港警備艦とされた[14]。その2年後の1896年(明治29年)9月26日に「満珠」とともに除籍された[7][14]。船体は横須賀海兵団付属とされ[14]、1910年(明治43年)4月13日に売却された[13]。
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 横尾道昱 少佐:1887年12月24日 - 1889年5月15日
- 永田賛知 少佐:1889年5月15日 - 1890年1月10日
- 迎敦忠 少佐:1890年1月10日 - 1891年6月11日
- 舟木錬太郎 少佐:1891年6月11日 - 1891年7月23日
- 外記康昌 少佐:1891年7月23日 - 1892年6月3日[16]
- 桜井規矩之左右 少佐:1892年6月3日 - 1893年5月20日
- 鹿野勇之進 少佐:1893年5月20日 - 1894年4月4日
- 藤田幸右衛門 少佐:1894年4月4日 - 1894年6月27日
- 徳久武宣 少佐:1895年8月20日 - 1895年12月27日
- 中山長明 少佐:1895年12月27日 - 1896年4月13日
- 永峰光孚 少佐:1896年4月13日 - 8月13日
同型艦
脚注
注釈
- ^ a b c #日本近世造船史明治(1973)p.449によると、長さ134ft(40.84m)、幅27ft(8.23m)、吃水14ft(4.27m)。『日本海軍史』第7巻pp.226-227によると長さ47.5m、幅10.5m、吃水4.28m。
- ^ 『日本海軍史』第7巻p.226によると砲5門(時期不明)
出典
参考文献
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、海軍歴史保存会、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
- 造船協会『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書、原書房、1973年(原著1911年)。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 『官報』
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『明治21年 達 完』。Ref.C12070024700。
- 『明治27・8年 戦史編纂準備書類 3/A 軍艦及巡洋艦代船及水雷艇の出師準備 B 常備、予備、臨時備付の兵器 C 常備、予備、臨時備付の弾薬(3)』。Ref.C08040465800。
- 『公文備考別輯 完 新艦製造部 武蔵 鳥海 小鷹 満珠 干珠 明治15~21/18年7月24日 横須賀鎮守府へ訓令 854噸の練習艦2艘小野浜製造所に於て製造の件』。Ref.C11081441500。
- 『公文備考別輯 完 新艦製造部 武蔵 鳥海 小鷹 満珠 干珠 明治15~21/20年9月7日 小野浜造船所上申 満珠干珠両艦命名の節大臣に呈出したる明細並費目書』。Ref.C11081442500。
- 『公文備考別輯 完 新艦製造部 武蔵 鳥海 小鷹 満珠 干珠 明治15~21/21年6月16日 艦政局届 満珠干珠両艦を本船長に引渡済』。Ref.C11081442800。
- 『公文備考別輯 完 新艦製造部 武蔵 鳥海 小鷹 満珠 干珠 明治15~21/21年6月26日 横須賀鎮守府へ伝達 満珠干珠両艦横須賀鎮守府所属航海練習船と定めらる』。Ref.C11081442900。
関連項目
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△は未成艦 |
類別制定前 | | |
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練習戦艦 | |
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練習巡洋艦 |
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練習特務艦 | |
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