幡枝八幡宮
幡枝八幡宮(はたえだはちまんぐう)は、京都府京都市左京区岩倉にある神社。創建当初は「王子山八幡宮」(おうじやまはちまんぐう)と呼ばれた。 由緒社伝によれば、宇多天皇の治世の894年(寛平6年)に、新羅が日本に攻め入ろうとしているという噂が流れていた頃、幡枝(当時は「旗枝」)の地に「大地鳴動」が起こった。すると里人の間に神が現れ「皇都および人民守護のため、この地に鎮座する」との神告が下った。このことを里人が御所に知らせに行こうとしたところ、同じ夢を見て幡枝を訪れようとしていた勅使に出会った。互いにそのことを話し合い、揃って地鳴りの中心地に赴くと、山の麓に清水が湧き出しているのが見つかった。勅使はすぐに都へ帰り、このことを天皇に告げ、その山の頂上に新宮を造営し、男山より石清水八幡宮を勧請して「王子山八幡宮」と命名したとされる。王子山八幡宮は、旗枝・鉾枝・福枝の3地域の鎮守社となり、その内の「旗枝」は「八幡の枝分かれ」として「幡枝」と称するようになり、王子山八幡宮も「幡枝八幡宮」と呼ばれるようになった。また、地鳴りの中心地に湧き出ていたといわれる清泉は「石清水」と呼ばれ、およそ1000年間枯れることなく滾々と湧き続けていたが、近年の宅地開発の波に飲まれて消滅した。[1][2] 皇室との繋がり幡枝八幡宮は、皇室の勅願所として代々の天皇から年々の御寄付を受けた。特に後水尾天皇(上皇)の叡尊篤く、約7反歩の御神田等数々の御寄付があった。また、桃園天皇・後桜町天皇からも数々の祭具の御寄付があり、現在も例祭で用いられる菊の御紋入りの御輿・吹散・御鉾などが寄付された。なお、御社および御輿等の修復の節にも御所より御銀(金子)が下された。[2] 神宝
摂末社摂社
末社末社十社<御初講>10月15日(愛宕・野々宮両社の神前にて)
末社四社
針神社祭神年中行事
概要古地図によると、かつては現在の幡枝八幡宮の二の鳥居の北西の境内に鎮座していた。当時は他の末社と同じく竪1尺5寸・横2尺5寸ほどの小祠であったという。しかし明治12年(1879年)に現在の位置に遷座し、針商の針神社信仰者9名からの申し出により、間口2間・奥行2間半・高さ8尺の瓦葺鞘(上家)が増築された[2]。現在の社殿は昭和46年(1971年)4月に改築されたものである[3]。 創建については諸説あり、明確ではないが、もと京都御所にあったものを幡枝に移したといわれる。また、江戸時代、幡枝に下屋敷[† 4]を構えていた綾小路家の息女が朝廷の女官であった関係上、屋敷内に安置されていた針神社を、当地へ遷座し再建したものとも伝えられている[1]。 岩上社祭神
概要岩上社の御神体は磐座である。祭神は、山の神及び水の神(農耕神)であり、八幡宮の創建以前から祀られる「生土神」である。また、八幡宮の鎮座する「八幡山」(はたやま)は円錐形で、古来より神奈備山であったことが窺われる。[2] 境内
脚注注釈出典 |