常総大橋(じょうそうおおはし)は、茨城県道・千葉県道103号江戸崎下総線の利根川に架かる橋である。
概要
茨城県稲敷郡河内町金江津と千葉県成田市高岡とを結ぶ橋長518.2 m、幅員11.0 mの鋼桁橋で、当時26億8000万円の工費をかけて完成し、1979年(昭和54年)2月13日に開通した[1][2]。橋の名はかつての常陸国と下総国を結ぶことから命名された[3]。施工は日本鋼管。開通以来、常総大橋の管理は茨城県知事が行っている[4]。
常総大橋が開通する以前は、渡し船(高岡の渡し)での往来が主な手段であり、その後、1967年(昭和42年)12月20日に、茨城県稲敷郡河内村(当時)金江津と千葉県香取郡下総町(当時)猿山とを結ぶ常総船橋が架けられた[5]。常総船橋は、鉄で出来た船20隻の上に木の板を渡した全長263 mのその名の通り「船橋」で有り、歩行者を除く自転車・自動車・バス(バスは渡れたか不明)は有料橋であった。しかし、利根川の増水期の6月からの4ヵ月は板が外され、渡し船に頼る従来の状態となっていた。その為、地域住民からは永久橋を望む声が高まり、1972年(昭和47年)からの7年の工期を掛け、1979年、常総大橋が開通した。
隣の橋
- (上流) - 若草大橋 - 長豊橋 - 常総大橋 - 新利根川橋(圏央道) - 神崎大橋 - (下流)
脚注
- ^ 常総大橋1967- - 土木学会附属土木図書館
- ^ 吉田義之『茨城県大百科事典』茨城新聞社、水戸市、1981年、537頁。
- ^ 現在茨城県側の金江津村は下総国の域内であり、1899年(明治32年)までは千葉県香取郡に属していた。よって正確にいえば橋の両岸は旧下総国となる。
- ^ “常総大橋の管理協定(昭和54年2月13日 茨城県告示第189号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第6705号: pp. pp. 6–7, (1979年2月13日)
- ^ “道路の区域変更・道路の供用開始(昭和42年12月20日 茨城県告示第1609・1610号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 号外: p. p. 27, (1967年12月20日)
外部リンク
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