常磐公園
常磐公園(ときわこうえん)は、北海道旭川市にある公園・地名。「旭川八景」[5]、「日本の都市公園100選」選定。 概要旭川市で初めて開設された公園。市内中心部に位置し文化芸術の拠点となっているほか、隣接する旭川リベラインパーク(石狩川河川敷)とともに各種イベントに利用される。なお、付近の地名などは「常盤」と表記するが公園名は「常磐」である。これは、1928年(昭和3年)の園名碑設置時に揮毫した字の間違いがそのまま公園名として決まったという説や[6]、割れることを連想させる「皿」よりも壊れにくい「石」の字を用いたという説[3][7]、1919年(大正8年)陸地測量部(現在の国土地理院)発行の地図による付近の町名には「常磐通」と書かれているためこれを採用したという説がある[7]。 歴史1890年(明治23年)に村が置かれた旭川は、屯田兵の配備や北海道官設鉄道上川線の旭川延伸、第七師団の移住によって発展し、1901年(明治34年)に町に昇格した[3]。その際に設置した「町村制実施準備委員会」において公園造成を決議したが、着手に至らないまま日露戦争が始まった[3]。1908年(明治41年)には「近文衛戍地分離独立問題」が起こり第七師団が旭橋を境に分離独立する動きを見せたが、1910年(明治43年)に「旭川町対第七師団協定書」を締結して問題が解決した[3]。協定書には、「旭川町中島に公園を整備し、居住者の和楽を増進する事」が明記されており、市街地と第七師団の中間地点を町民と師団の親睦の場として活用することにした[3]。同年には星野勇三に設計を委託して公園造成が始まった[3]。1916年(大正5年)に基礎工事を終えて開園した[3]。1928年(昭和3年)に設置された園名碑は、時の第七師団長・渡辺錠太郎陸軍中将(二・二六事件で反乱軍に殺害された)の揮毫によるもので、周囲の地名「常盤」と異なり「常磐公園」と記されており、旭川市の定める本園の名称も「常磐公園」である[8]。 年表
施設→詳細は「旭川市図書館」を参照
石碑・野外彫刻石碑
野外彫刻 →「旭川の野外彫刻」も参照
脚注
参考資料
関連項目外部リンク |