常澄村
常澄村(つねずみむら)は茨城県の中東部、東茨城郡に属していた村。現在の水戸市東端部にあたる。 概要県庁所在地・水戸市に隣接し、近郊農業地帯となっていた[1]人口約1万人の村。1980年から新東京国際空港(現:成田国際空港)の開港に伴う国道51号の整備・鹿島港の開発・大洗鹿島線の開業など県東部の開発が進められていたことと、水戸市の郊外都市としての機能が期待できたことから、村の西側に住宅地「大串団地」を開発していた[2][3]。しかし脆弱な財政基盤のために下水道や道路の整備が村単独では難しく、当時の村長などが水戸市への合併を希望していた。1992年(平成4年)、水戸市へ編入されて消滅した。 地理村は那珂川の河口付近に位置し、村の面積の6割は低地であり、その大半が水田となっている。西側は台地になっている[1]。 人口村発足時には10,192人であったが、高度経済成長期時の農村部の都心目的の人口流出で減少し、1970年には9,094人にまで落ち込む。しかし、1973年頃から一転して増加し[4]、更に1975年以降は国道51号の整備や大洗鹿島線の開業および大串団地の開発もあって、水戸市との合併直前に再び人口1万人を回復した[2][5]。ただし人口密度は1平方キロメートルあたり約350人程で、当時1平方キロメートル辺り1,000人を超えていた水戸市・勝田市・那珂湊市などの諸都市と比較すればかなり人口のまばらな農村地帯であったといえる[6]。 気候温暖な地域であり、夏場は高温多雨で、冬場は乾燥する日が続く。農業に適し、特に米作が盛んである[6]。 隣接していた自治体自治体名はいずれも村消滅当時のもの。 歴史沿革
行政村章全体を円形にし、「つね」を図案化したもの。1960年(昭和35年)1月1日に制定[7][8]。 歴代村長
産業第一次産業低地部では米作が盛んであった。やがて生産過剰から休耕・転作が行われた[9]。台地上では畑作が行われ[10]、特に1980年頃から水戸市の近郊農業地域として、野菜・果樹類の栽培が増えていった[10]。またかつては林業も盛んであり、マツ・スギ・ヒノキが用材や燃料用として供給されていた[11]。那珂川・涸沼川での水産業も行われ、シジミ・サケが獲れたという[11]。 第二次産業国道51号・国道245号の沿線で主に製造業の工場誘致を積極的に行っていた[6][11]。製品の一部である部品の製造・鉄鋼・食料品の加工・瓦製造・印刷業が行われている[12]。
教育幼稚園・保育所
小中学校交通鉄道このほか、1966年(昭和41年)6月1日までは茨城交通水浜線が村内を通っていた。 道路脚注参考文献
関連項目 |