帝国館 (豊橋市)
帝国館(ていこくかん)は、愛知県豊橋市上伝馬町にあった映画館。 前身は1893年(明治26年)に設立された演劇場の弥生座であり、1921年(大正10年)に映画館に転換して帝国館となった。1945年6月の豊橋空襲で焼失し、跡地には1945年から1950年まで第一映画劇場/豊橋第一東映劇場が存在した。 歴史帝国館(1921-1945)帝国館の前身は、1893年(明治26年)に上伝馬町に設立された演劇場の弥生座である[2]。1901年(明治34年)10月には同じく上伝馬町の朝日座で、豊橋初とされる活動写真の上映が行われた[2]。明治時代の上伝馬町には弥生座(演劇/演芸)のほかに、朝日座と河原座(演芸)があった[2]。 1921年(大正10年)には弥生座が映画館に転換して帝国館となった[3]。建物は木造2階建の洋館であり[4][2]、内部は天井が高く、極彩色のエジプト風絵画が飾られていた[2]。帝国館は日活の直営だったが[2]、昭和初期にはアメリカ映画も上映した[4]。モギリ嬢はエプロンを羽織っており、二階席への上り口には法被を着た下足番がいた[2]。二階席の前方には青い絨毯が敷かれており、後方は背もたれ付きの長椅子が雛壇となっていた。一階席は7-8人掛けの長椅子が並んでおり、中央の通路を挟んで左側が紳士席、右側が婦人席、中央が同伴席となっていた。大正末期の時点では、豊橋市内の映画館は当館のほか、豊明館、オペラ館、大盛館、錦正館、有楽館の5館が存在した[1]。 1945年(昭和20年)6月19日深夜から20日未明、太平洋戦争時の豊橋空襲で焼失した[4]。この空襲では帝国館のほかに、錦館[5]、キネマパワー[6]、花田館[7]、豊橋東宝映画劇場[8]も焼失しており、一時的に豊橋から映画館が消えている。 第一映画劇場/豊橋第一東映劇場(1945-1950)終戦後の1945年10月末には帝国館の焼け跡に第一映画劇場が開館している[4][9]。終戦後の数年間は娯楽を求める豊橋市民で満員だった[9]。ヨーロッパ映画の上映が多かったが、1949年(昭和24年)には東映封切館となって豊橋第一東映劇場に改称[9]。なお、この頃の萱町には第一映画劇場、第一銀行、第一生命保険などがあり、第一通りと呼ばれた[9]。1950年(昭和25年)に閉館となった。 脚注参考文献
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