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市村 (広島県御調郡)
いちむら
市村
廃止日
1955年2月1日
廃止理由
新設合併
市村
、
今津野村
、
奥村
、
上川辺村
、
河内村
、
菅野村
、
諸田村
(一部)→
御調町
現在の自治体
尾道市
廃止時点のデータ
国
日本
地方
中国地方
(
山陽地方
)
都道府県
広島県
郡
御調郡
市町村コード
なし(導入前に廃止)
総人口
3,285
人
(
国勢調査
、1950年)
隣接自治体
河内村、奥村、諸田村、上川辺村、菅野村、尾道市
市村役場
所在地
広島県御調郡市村
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
市村
(いちむら
[
1
]
)は、
広島県
御調郡
にあった
村
。現在の
尾道市
の一部にあたる。
地理
河川:御調川、諸原川
[
2
]
歴史
1889年
(明治22年)4月1日、
町村制
の施行により、
御調郡
市村、花尻村、平村、釜窪村、貝ヶ原村、高尾村、神村が合併して村制施行し、
市村
が発足
[
1
]
[
2
]
。旧村名を継承した市、花尻、平、釜窪、貝ヶ原、高尾、神の7大字を編成
[
2
]
。
1912年
(明治45年)双三貯蓄銀行市村支店開設
[
2
]
1944年
(昭和19年)
大阪市
福島区
海老江西国民学校(現
大阪市立海老江西小学校
)集団疎開
[
2
]
1950年
(昭和25年)4月1日、御調郡
木ノ庄村
大字江田、国守を編入
[
1
]
[
2
]
。9大字となる
[
2
]
。
1955年
(昭和30年)2月1日、御調郡今津野村、奥村、上川辺村、河内村、菅野村、諸田村(一部、大字大山田・下山田・千堂)と合併し、町制施行し
御調町
を新設して廃止された
[
1
]
[
2
]
。
産業
農業
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2
]
交通
鉄道
1926年
(大正15年)
尾道鉄道
が開通し
市駅
開設
[
2
]
教育
1922年
(大正11年)郡立市村農学校開校
[
2
]
。
脚注
[
脚注の使い方
]
^
a
b
c
d
『市町村名変遷辞典』60頁。
^
a
b
c
d
e
f
g
h
i
j
k
『角川日本地名大辞典 34 広島県』107頁。
参考文献
角川日本地名大辞典
34 広島県
『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
関連項目
広島県の廃止市町村一覧