川島素晴
川島 素晴(かわしま もとはる、1972年1月12日 - )は、日本の現代音楽の作曲家、演奏家。国立音楽大学准教授[1]、東京音楽大学[2]、および尚美学園大学講師[3]。日本作曲家協議会副会長[4]。 略歴東京都生まれ。5歳からピアノを習いつつ[5]、小学4年のころから自然と作曲に目覚める。桐朋中学・高校(普通科[6])時代に作曲を金子晋一に師事[7]。一浪を経て[8]東京芸術大学入学[9]・卒業、同大学院修了。作曲を松下功、近藤譲に師事。秋吉台国際作曲賞(1992年)、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会・奨学生[10]賞およびベスト・ノーテーション賞(1994年)、ダルムシュタット夏期現代音楽講習会・クラーニヒシュタイン音楽賞(1996年)、日本音楽コンクール作曲部門第2位およびE.ナカミチ賞(1996年)、第7回芥川作曲賞(1997年)など、国内外のコンクールで入賞・入選多数[7]。 アジア作曲家連盟バンコク大会(1995年)、ISCM世界音楽の日々コペンハーゲン大会(1996年)、ハノーファー・ビエンナーレ(1999年)、日本ASEAN交流10周年記念合同オーケストラ(2003年)、いずみシンフォニエッタ大阪(2004年)、ガウデアムス国際音楽週間(2005年)、Music From Japan(2005年)など、世界各地の現代音楽祭や演奏団体によって作品が取り上げられている[7]。 また、音楽企画にも精力的に取り組んでおり、作曲家集団「現在形の音楽」同人(1994年 - 1997年)、「Ensemble Contemporary α(東京)」代表(1992年 - 2001年)・副代表( - 2005年)、「Next Mushroom Promotion(大阪)」指揮者・音楽監督(2001年 - 2005年)、「いずみシンフォニエッタ大阪」プログラムアドバイザーなどの実績を持つ[7]。 2004年、川島が企画した現代音楽演奏会の会場で、「個人レッスンの希望を進言してきた[11]」当時、京都市立芸術大学に在学中の山根明季子と出会いのちに結婚[12]。 2007年4月から2013年3月まで山根と共に、experiment(実験)と称するレクチャーを添えた、現代音楽コンサートeX.(エクスドット)を主催[13]。 作風「演じる音楽」と「笑いの構造」を標榜した創作を続けており、「思わず演奏家のアクションを模してしまう、というあの感覚」を「全身的な体験としての芸術体験と決定する価値観」を追求して作曲している[14]。川島はまた「音響レヴェルでのスタイルは変幻自在だが、行為レヴェルのスタイルは一貫させる」としている[15]。 その結果コントラバス・ソロのための「パgani蟹」・「五孔尺八ソロのためのエチュード」・笙ソロのための「手遊び17孔」・ソロ・ヴァイオリニストのための「夢の構造III」などの独奏曲に、共通している音響モデルは一つも見られない。川島は、「私は自分の集中力に忠実であろうと思う」とも語っており[16]、弦楽四重奏のための「ManicII」はのちに続ける部分を全カットして発表した。 また川島は既存楽曲の編曲や甲斐説宗の補作も行っており、「他の誰かがやるよりも自分でやることのほうが適して」いるため[17]、ピアノ、打楽器、指揮の各分野における自作自演を行い続けている。 主張川島が提唱した「演じる音楽」は、表面上の異同が明らかではあるものの、近藤譲の「線の音楽」にショックを受けてから、「その生涯を貫くテーゼ」こそ真の作曲家が備えるものと捉え、感化された結果だという。その上で「線の音楽(一音一音の関係)」に対する「演じる音楽(一行為単位の関係)」を、「ユークリッド幾何学(平面上)」と「非ユークリッド幾何学(曲面上)」との違いにたとえられるかもしれないと述べた[18]。 また商業音楽の虚構性などを追究した上で、鑑賞を目的としない音楽が普及したことが、現代音楽を遠ざけたとし[19]、「レコード芸術」が創刊されてから、そういったクラシックファンが定着しているのを認めながら[20]、そのような人たちが期待してライブを鑑賞すれば、幻滅してしまうケースもあるだろうと指摘。これは演奏の確かさや会場の環境の不備という、現実に直面することで不信を抱き、結果、録音されたものを至高の音楽とみなす、ある種のひきこもり層を増やすことにも繋がっているのではないかと言及した。さらにデジタル技術による編集に加え、エフェクト処理などをされた加工品を仮に現実だと捉えている層は、その「幻の実現を夢見て」ライブに出向くことは愚かであって、騙されていることに気付くべきだとも忠告している[21]。 写真家の木之下晃は、川島の代弁者として「現代は“映像の時代”である」と切り出した上で、携帯電話が今では万能な映像機器となり、CDはDVDに取って代わり、「視覚の時代」となったが、現在でもクラシック音楽は19世紀以前の耳にとらわれ、前衛的な現代音楽の分野でさえ「その多くは未だ“耳”である」と述べた。それゆえに川島の「演じる音楽」は、このような今の時代に沿って考え出されたもので、作品集「Action Music」では川島が五線譜に演奏行為を書き込み、「視覚に訴えた」と説明している。ただあくまでもCDなのでそれは想像するにとどまるとした[22]。 主要作品
備考佐村河内守のゴーストライターが新垣隆と発覚した問題では、「(レクイエムの件など[24])古今東西どこにでも転がっている話」とあしらい、(これは商業音楽全般の問題でもあるが)「映画やゲーム音楽」の場合、それがさまざまな段階を経て完成するまでに、ビジネスプロセスやアウトソーシングに携わる人の創意が、多かれ少なかれ反映されて当然で、「どこからがゴーストライターと言えるのかは不明確」としている。その上で新垣にはそれなりの罪はあるものの、あくまでも被害者であるとの見解を示した[25]。また極端な例としながらも、「尼崎事件」の共犯者たちには期待可能性はなかったと言明し、新垣の境地を語った。ただし川島は新垣を擁護するつもりはまったくないと弁解している[24]。 2014年10月3日、新宿区内で乗用車を運転中、公務執行妨害の現行犯で新宿警察署に逮捕された[26]。逮捕容疑は、一時停止をしなかったとして白バイに停車を求められたが、無視して逃走し、ビル駐車場に車を止めようとバックした際、追ってきた白バイに車を衝突させた疑い[27]。同ビル内で予定されていたリハーサルに向かう途中だった[28]。追跡されてから7~8分間走り続けていたが、川島は「違反したわけではない」と話し[29]、公務執行妨害も「故意にぶつけたのではない」と容疑を否認した[30][31]。また同6日に釈放後、自身のフェイスブックでも「逮捕容疑は冤罪」と主張している[32]。同年12月12日には、「このあたりで事実関係を明確にさせて頂きたい」としてブログにて発表。動画撮影など当時の状況の再現を試み、詳細な検証を行った上で反論資料として提示した[33]。 この影響で、10月6日に予定されていたサントリー芸術財団主催(芸術文化振興基金助成対象活動)のコンサート「作曲家の個展2014-川島素晴」[34]は中止となったが、前述の逮捕報道より先に主催者側[35][36]とマスコミ[37][38]によって発表されている。また同18日に出演予定だったフィリアホール共催コンサート「横浜シンフォニエッタ 第8回演奏会」は、出演が藤倉大に変更された[39]。 参考文献
脚注
関連項目外部リンク
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