岩田 恒(いわた ひさし、1870年7月6日(明治3年6月8日)[1] - 1957年(昭和32年)12月13日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等功級は従四位勲三等功五級[3]。旭川市長[3]。
経歴・人物
石川県士族・岩田易安の次男[3]。1892年(明治25年)陸軍士官学校第3期卒業[2][4]。
日露戦争に従軍後、1915年(大正4年)8月に甲府連隊区司令官、1916年(大正5年)11月に陸軍歩兵大佐、1919年(大正8年)8月に歩兵第27連隊長、1921年(大正10年)6月に陸軍少将に昇進と同時に待命、同年10月に予備役に編入した[2][3][4]。退官後は旭川市長となった[3]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
著作
- 『大正七年度ヲ主トスル徴兵検査成績及同附録』甲府聯隊区司令部、1919年。
- 『空襲と都市防空』大阪市教育部、1937年。
栄典
脚注
- ^ 『人事興信録』第5版、い104頁
- ^ a b c 『日本陸軍将官辞典』110頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録』第8版、イ244頁
- ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』105頁。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」37頁。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 人事興信所編『人事興信録』第5版、人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録』第8版、人事興信所、1928年。
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官選 |
区長 | |
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市長 |
- 岩田恒1923.6-1928.10
- 奥田千春1929.6-1933.6
- 渡辺勘一1933.6-1936.7
- 井上英1936.9-1938.11
- 足立富1939.3-1946.11
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公選 | |
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カテゴリ |