岩田三史岩田 三史(いわた さんし、1890年(明治23年)12月3日[1] - 1973年(昭和48年)9月3日[1])は、大正から昭和期の医師、政治家。貴族院多額納税者議員、埼玉県川口市長、川口市名誉市民[1]。 経歴埼玉県北足立郡川口町[1](現在川口市[1])で、川口屈指の大地主[1]・岩田武三郎、いよ の長男として生まれた[2]。浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)、第四高等学校第三部を経て[1]、1919年(大正8年)九州帝国大学医学部を卒業[1]。同医学部副手、東京帝国大学医学部細菌学教室研究生となり、医学博士号を取得した[1]。その後、帝国女子医学薬学専門学校(現在の東邦大学)教授、額田内科病院副院長を務めた[1]。 1931年(昭和6年)6月4日、補欠選挙で貴族院多額納税者議員に選出され[3]、1932年(昭和7年)9月28日まで在任[4]。1933年(昭和8年)4月1日に川口市が成立すると、初代市長に選出され同年6月12日に就任し、市章の制定、新町名の決定、第1回学校体育祭の開催、市広報紙の発行などを推進し、1934年(昭和9年)10月7日に市長を退任[5]。1939年(昭和14年)9月29日、貴族院多額納税者議員に再度就任し[6]、交友倶楽部に所属して1946年(昭和21年)4月13日まで在任した[4][7]。その後、公職追放となる[8]。 その他、埼玉新聞社社長を務めた。 脚注参考文献
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