山鹿旗之進山鹿 旗之進(やまが はたのしん、1860年2月16日〈安政7年1月25日〉 - 1954年〈昭和29年〉4月1日)は、日本のメソジストの牧師、教育者、文筆家。 人物・来歴万延元年(1860年)に弘前藩の江戸藩邸に生まれる。津軽に帰郷し藩学を経て、東奥義塾に入り、ジョン・イングと本多庸一の指導を受ける。1877年(明治10年)、イングより洗礼を受ける。 弘前教会資産係を経て、勧士になる。1879年、横浜山手の美會神学校開校と同時に入学する。1887年に東京英和学校を卒業すると、母校の教師になる。 1887年、長老の按手礼を受け、名古屋中央教会に赴任し、岐阜・高山の開拓伝道を行う。名古屋清流女学校の創設にも関わる。 1889年、中央教会会堂建設に協力、1890年に渡米しドルー神学校を卒業し、1893年に帰国する。名古屋第一教会(現:広路教会)の基礎を築いて、1895年に横浜教会(現:日本基督教団横浜上原教会)・神奈川教会・鎌倉教会に移った。1903年に九段教会(現:日本基督教団九段教会)に赴任する。 1914年には横浜聖経女学校の教頭になる。1923年教師を引退し、横浜の神奈川に住んで文筆活動を行った。 『六合雑誌』、『福音新報』、『教界時報』、『護教』、などに寄稿した。 山鹿素行の直系[1]。芸能プロモーターの渡辺美佐は孫にあたる[2]。 著書単著
共著
編集
翻訳
参考文献
脚注
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