山陽オートレース場
山陽オートレース場(さんようオートレースじょう)は全国に5場あるオートレース場の1つで、山口県山陽小野田市埴生にある。施行者・土地建物ともに山陽小野田市で所有管理している。 概要前身は柳井市にあり、柳井オートレース場(1951年〈昭和26年〉11月20日開場)と名乗っていたが、1955年(昭和30年)の台風22号による被害(走路の水没やスタンドの全壊など)と売上不振から開催が困難となり、閉鎖された。そのオートレース場が山陽町(現・山陽小野田市)に移転し、1965年(昭和40年)4月10日、大井オートレース場に次ぐ全国二番目の舗装走路[注 1]によるオートレース場として開場した。 トータリゼータシステムは日本トーターを採用しており、三連勝単式・三連勝複式・ワイドの各車券の発売を最も早く開始した(2002年2月3日より)オートレース場でもある[3]。また、浜松オートレース場、船橋オートレース場に続き、2007年2月の開催より日本トーターへの民間委託が開始され、主催者の黒字が保証される形となっていた[4][5]が収益悪化のために撤退し、2014年4月より委託先が日本写真判定(現:株式会社JPF)に変更された。 2007年2月より、日本トーターの開発した『eスマート倶楽部』専用の自動投票端末が随所に設置されていた。これはあらかじめ資金をチャージしたICカードを利用してキャッシュレスで車券購入が行えるもので、全国の公営競技場で初の運用である。なお、他場との相互共通使用はできなかった。2014年11月30日で山陽オートレース場におけるeスマートを利用しての車券購入が終了したことに伴い、2015年2月1日をもってeスマート口座内の未清算金の清算・当たり車券の払い戻しを終了した。 2011年4月14日から17日までの開催からは、伊勢崎市の管理施行によりオートレースでは初となる重勝式車券(ランダム方式4連勝2連勝単式とセレクト方式5重勝単勝式)がオッズパークにて発売される。なお、当場を対象とした発売は伊勢崎市の指定を受けた日のみとなる。 2016年12月14日から発売された重勝式車券(ランダム方式4重勝単勝式)の『当たるんです』は、山陽小野田市が管理施行者となって実施される。なお、投票は公式ホームページでのみとなる。 売上は2015年度の65億円を底に売上高70億円前後で推移していたが、2016年12月から最終4レースの1着を当てる配当が大きい重勝式を導入したり、18年度からミッドナイトレースを開催してレース数が多くなったりしたことから、売り上げが伸びて2019年度には100億円の大台に乗り、2020年度の売上高は2021年2月末時点で157億870万円と2019年度の115億2490万円をすでに上回り、最終的には約170億円を見込みで、過去10年間で最高となった[6]一方で、近年はSG開催から遠のいており、2012年2月12日に有吉辰也が優勝を果たした第25回全日本選抜以降はSGの開催がない。 夜間開催ミッドナイト競走2019年2月17日より、飯塚オートレース場に続いてオートレースでは2場目となる「ミッドナイトオートレース」(呼称:山陽ミッドナイトオートレース)が開催されている。同年2月17日から3日間と2月22日から4日間の2開催での試行開催が行われ[7]、その後は同年6月に8月23日から正式に開催することが発表された[8]。2月の試行開催では飯塚オートから移動式ナイター照明灯をレンタルしていたが、後にLED照明灯7基をスタンドやバンク内に整備した[9]。 2020年8月20日より、これまでの「7車7R制」・「7車8R制」の開催から業界初の「6車9R制」の開催で行われ、以降、継続して開催されている[10]。 2022年4月より、ナイターとミッドナイトの同一日開催が可能となり[11]、ナイター終了後の21時以降「6車6R制」で開催されている。また、2022年8月2日から5日までの開催よりオートレース初の1節(4日間)に2回優勝戦が行われ、2日間で優勝を争うミッドナイトオートレースを「6車6R制」で連続開催されている[12]。 ナイター競走2021年9月13日より、同場では初となるナイター競走を実施[13][14]。ミッドナイトオートレースで使用しているナイター専用消音マフラーを使用する。 中継日中・ナイター
ミッドナイト
CS放送の中継では、優勝戦終了後のウイニングランに麻倉未稀の楽曲「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」が流れる[注 7]。 場外車券売場
交通
脚注注釈
出典
参考文献外部リンク
|