山那神社 (山那)
山那神社(やなじんじゃ)は、愛知県丹羽郡扶桑町山那にある神社。 歴史創建時期は不明。 延喜式内社山那神社、本国帳の従三位山那天神とあるのがこの社であると伝えられる。1872年(明治5年)村社に列格する。1897年(明治30年)天神社を山那神社と改称、1907年(明治40年)供進指定を受ける。1911年(明治44年)11月13日、字大持に鎮座の青木社を合祀した。 当社は江戸時代木曽川の中州に鎮座していたが、1601年(慶長6年)の大洪水で、民家、社寺、田畑ともに流失したため、神社を堤南の末社神明社地内に移した。また洪水の際に本社の神像が葉栗郡の光明寺村まで流され、これを拾得した同村民が天台宗光明寺の境内に祭った。山那の村民はしばしば返還を求めたが、戻ったのは1869年(明治2年)2月8日であったという。このことにちなんで「光明寺流れ」の伝説が生まれた。 祭神青木社跡山那の龍泉寺の西に須佐之男命を祭った青木社があった。神仏混淆の折、龍泉寺と青木社は一体であったと思われるが、1820年(文政3年)に寺を離れて、明治維新の際に青木社として復旧したと伝えられる。1911年(明治44年)11月13日、山那神社に合祀された。現在跡地は山名保育園となり、園地の一角に石標が建てられている。付近には青木、青木前などの地名が残っている。 天神社跡旧社地付近には大鳥居口、御幸道、馬草山、天神山、天神前などの地名があって、天神社が祭られていた頃の地名と推測される。 →「北山名村」も参照
所在地交通機関関連項目参考文献 |