山田永俊山田 永俊(やまだ えいしゅん、明治5年10月13日[1](1872年11月13日) – 昭和31年(1956年)9月24日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党)。医師。漢詩人。 経歴岐阜県本巣郡七郷村(現在の岐阜市)出身[3]。済生学舎で学び(現・日本医科大学)、1895年(明治28年)に医術開業試験に合格[3]。1901年(明治34年)に岐阜市に眼科医院を開業した[3]。1913年(大正2年)より岐阜市会議員に選ばれ、議長にも選出された[3]。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その他、岐阜県医師会長、同保険部長、日本医師会理事、同副会長、岐阜脳病院理事長などを務めた[2][3]。 また五洋と称し漢詩を善くした。昭和31年細菌性髄膜炎にて急逝。遺族により『五洋詩鈔』が刊行されている(昭和37年)。 脚注
参考文献
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