山田喜八
山田 喜八(やまだ きはち、1870年12月-1871年1月(明治3年11月) - 1929年(昭和4年)2月17日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。 経歴・人物周防山口藩(現・山口県)出身[1][2]。1893年(明治26年)陸軍士官学校第4期卒業[1][2]。 1915年(大正4年)8月に大阪連隊区司令官、1916年(大正5年)11月に陸軍歩兵大佐、1917年(大正6年)8月に歩兵第73連隊長、1921年(大正10年)6月に陸軍少将・歩兵第15旅団長、1923年(大正12年)8月に待命、翌月、予備役に編入した[1][2]。 栄典脚注参考文献
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