山本浩章
山本 浩章(やまもと ひろあき、1969年〈昭和44年〉5月13日[1] - )は、日本の政治家、実業家。島根県益田市長(4期)。元・益田市議会議員(1期)。 来歴滋賀県甲良町出身。甲良町立甲良東小学校、甲良町立甲良中学校、滋賀県立彦根東高等学校卒業。1988年(昭和63年)4月、東京大学教養学部文科一類入学。1992年(平成4年)3月、東京大学法学部第1類卒業[2]。 大学卒業後は、実家の家業である米穀商に従事しながら、司法試験への挑戦を継続していたが、1998年(平成10年)4月、妻の親族企業である株式会社ひょうま(旧名:兵間仏閣堂)に入社。2010年(平成22年)12月、同社の代表取締役社長に就任。この間、2008年(平成20年)1月、益田青年会議所理事長、2009年(平成21年)1月、日本青年会議所中国地区島根ブロック協議会会長を歴任。 2011年(平成23年)8月28日に行われた益田市議会議員選挙に出馬し初当選。9月9日、市議に就任[3]。 2012年(平成24年)3月30日、在職わずか7ヶ月で市議を辞職。同年7月29日に行われた益田市長選挙に自由民主党県議の支援に加え、連合島根や市農政会議の推薦を受けて出馬。『人口拡大』を掲げ、現職の福原慎太郎との接戦を制し初当選した(山本:14,645票、福原:13,494票)。投票率は68.89%[4][5]。8月2日、市長に就任[3]。 2014年(平成26年)2月、日本創成会議による『地方消滅』論や地方創生に先んじて、『益田市人口拡大計画』を策定。 2016年(平成28年)7月24日の益田市長選挙では、「市政の継続と安定」をスローガンに掲げる一方、萩・石見空港東京便の1日2便運航復活などの実績を強調して幅広い支持を集め、「益田を一つに」をキャッチフレーズとした福原慎太郎との再度の一騎討ちを制し、再選を果たした。(山本:17,447票、福原:10,086票)。投票率は68.56%[6][7][8]。 2020年(令和2年)7月20日の同選挙で、元市議の久城恵治らを破り3選。2024年(令和6年)、無投票で4選[9]。 脚注
外部リンク
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