山名満時
山名 満時(やまな みつとき)は室町時代の武将。山名時熙の嫡男。室町幕府侍所頭人。宮内少輔、伊予守、刑部少輔、修理大夫。弟に山名持熙、山名持豊(宗全)がいる。 生涯応永3年(1396年)、山名時煕の子として生まれる。元服時に将軍・足利義満と父・時煕より1字ずつ賜って満時と名乗る。応永21年(1414年)3月12日、19歳で侍所頭人に就任する。応永24年(1417年)正月、将軍・足利義持(義満の子)は山名亭へ御成したが、山名氏の歓待振りを賞して、山名時熙を右衛門督へ、息子伊予守を刑部大輔へ昇進させるとした。この息子が満時と考えられている[2]。義持は半年後の9月にも時熙・満時両館を訪れている[3]。山名家の後継者として将軍家からも嘱望されていた満時であるが、この後病に倒れ、3年間、床に臥した後、応永27年閏正月21日に早世した。享年25。父時熙は嫡男の死を大いに嘆き、南禅寺に栖真院(せいしんいん)を建て息子の菩提を弔った。満時の死は、山名家に家督問題を生じさせ、永享年間の持熙・持豊の対立、持熙の挙兵・敗死にまで発展することとなる。 脚注
参考文献
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