山内氏篤
山内 氏篤(やまうち うじあつ)は、江戸時代中期の土佐藩の重臣。7代宿毛領主。 略歴享保9年(1724年)、土佐藩奉行職、5代宿毛領主山内晴氏の長男として高知にて誕生した。同年9月に父が急死し、まだ幼児のため、叔父・郷俊が家督を相続、その養嗣子となった。 寛延元年(1748年)、郷俊が蟄居を命じられ隠居することとなり、家督と知行6800石を相続し、宿毛7代領主となる。宝暦5年(1755年)、8代藩主・山内豊敷より奉行職に任じられる。宝暦12年(1762年)、宿毛領内に琉球の船が漂着し、藩命で取扱いを命じらる。幕府との交渉の末、薩摩藩に船を引き渡す。明和9年(1772年)、嫡男の氏益が病死する。安永2年(1774年)、深尾苞実の三男・保氏を婿養子とする。 天明元年(1781年)、病のため職を辞す。天明6年(1786年)、隠居して家督を保氏に譲る。天明7年(1787年)、死去。享年64。 系譜出典
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