山内亮
山内 亮(やまうち りょう、1886年(明治19年)12月20日 - 1960年(昭和35年)7月26日)は、日本の政治家。青森県八戸市の5代目市長。終戦直前の1945年8月、米軍による空襲の予告を受けて全市民に総退去を命じた。 来歴・人物
主な政策戦争末期の総退去命令戦争末期に青函連絡船を撃沈したハルゼー機動部隊により1945年(昭和20年)7月14日に八戸・三沢が空襲を受け、日東化学工業や尻内駅が被害を受けた。さらに8月5日にB29爆撃機が八戸市に飛来し八戸空襲を予告、8月9日にハルゼー機動部隊により八戸港にいた海防艦・稲木が撃沈された。こうした状況を受け、空襲や艦砲射撃による攻撃を見越し、8月10日に八戸市中心市街地からの総退去命令を決断した。 終戦時にはハルゼー機動部隊は三陸海岸沖に撤退しており、市街地は閑散とした状況であった[4]。 その他1943年(昭和18年)に戦時下の国や県の強い意向により、いったん市営自動車(現在の八戸市営バス)を五戸鉄道(現在の南部バス)に統合させた。後に1948年(昭和23年)に市営バス事業は再発足する。 1944年(昭和19年)に八戸市立工業学校(現在の青森県立八戸工業高等学校)を設立した。 関連関連人物関連項目脚注参考文献
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