山下五三郎
山下 五三郎(やました ごさぶろう、1869年5-6月(明治2年4月) - 1943年(昭和18年)1月[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 経歴東京府出身[1][2]。1893年(明治26年)陸軍士官学校第4期卒業[1][2]。 熊本陸軍地方幼年学校長などを経て、1913年(大正2年)8月に岡山連隊区司令官に任官[1][2]。 のち1915年(大正4年)9月に陸軍歩兵大佐に昇進し、翌年の1916年(大正5年)8月に歩兵第2連隊長(第14師団、歩兵第27旅団)に任官し、シベリア出兵に従軍した[1][2]。 そののち1919年(大正8年)7月に陸軍少将に昇進と同時に待命、同年11月に予備役に編入した[1][2]。 退役後は浜松市で教育活動に携わる。大正10年に結団した浜松市少年団の初代団長を務めた[3]ほか、大正13年には、誠心高等女学校(現・浜松開誠館中学校・高等学校)の初代校長に就任し、昭和12年までその職にあった。[4] 栄典脚注参考文献
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