小角彌三次
小角 彌三次(こすみ やそうじ、1868年〈明治元年〉8月 - 1935年〈昭和10年〉)は、日本の柔術家である。小角弥三次とも書かれる。 経歴明治元年に阿波国撫養町(現在の徳島県鳴門市)に生まれる[1]。 1877年(明治10年)に撫養町林崎の亀井吉太郎(亀井吉衛)の門に入り天神真楊流を修行した[1][注釈 1]。 1884年(明治17年)に目録、1888年(明治21年)に免許、1890年(明治23年)に免許皆伝を受けて撫養町で子弟を育てた。 その後兵庫県神戸市に移り住み、神戸市の小野柄通に眞武館道場を設け柔術の普及発展に努力した。この道場は門下生数千人を数えた。 1902年(明治35年)、兵庫県警察部に奉職し柔道教師となった。1903年(明治36年)8月に大日本武徳会より柔道精錬證を受けた。また日清戦争、日露戦争にも出征した。 1912年(明治年45年)5月に柔道教士、1927年(昭和2年)5月に柔道範士の称号を受けた。 1929年(昭和4年)5月に大日本武徳会武道詮衝委員を嘱託された。 大日本武徳会本部教授、大日本武徳会兵庫支部、神戸一高、神戸水上警察署の柔道教師を務めた。 脚注注釈
出典参考文献
|