小禄朝奇小禄 朝奇(おろく ちょうき、1676年11月9日(康煕15年10月4日) - 1721年5月3日(康煕60年4月8日))は、琉球王国の王族。第二尚氏王統・第11代尚貞王の三男で、具志頭御殿の元祖。正式には小禄王子朝奇。 唐名は尚綱、童名は思樽金。母は真壁按司加那志(号・慈恩)。1705年から1712年まで、尚貞王、尚敬王の摂政を務めた。朝奇の次男・朝孝は大宜見御殿の養子となり、三男・真壁按司朝盈は尚貞王継妃・真壁按司加那志の養子となり、真壁御殿を興した。1721年死去、1738年に末吉の墓(現在の宜野湾御殿の墓)に移葬された。 脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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